きのうの月曜日、午後。
これから下山する直前の照見(最終面接)で思わず涙した。しかも声をだして。ご指導いただいた老師に対して、お礼のお辞儀を深々とした瞬間、急に激しくこみあげてきた。
「さあ、行きなさい」と老師。
先週火曜日から昨日までの一週間におよぶ「少林窟道場」での参禅体験をこれから書いてみたいのだが、果たして書ききれるだろうか。
料理の味を他人に説明するのが困難なように、禅の真義をかいま見ることができたような感動と、心の奥深いところにある “これでやっていけそうだ” という安心感は、なかなか文字にあらわせるものではない。本当に得難い体験をすることが出来た。
まずは書きやすいところ、周囲の風景から書いてみたい。
ここは広島県竹原市忠海にある「少林窟道場」。道元禅師の流れを汲む曹洞宗に属し、現・道場主は第五世・井上希道老師65才。(以下、老師)
「決して大きな道場ではない」とサイトにはあるが、22名まで収容できる「禅堂」と、仏間や執務室、食堂などがある「衆寮」、参禅者が睡眠をとる「宿坊」などからなり、私には相当な規模に思えた。
ただし、本当に山深いところだ。
目の前には瀬戸内の海が、真後ろは山々が連なり、鶯の声や竹笹が風でそよぐ音色など、野趣あふれる絶好の坐禅環境。
少林窟道場での日課は、「禅三昧」のひとことに尽きる。
午前5時 木版。暁鐘。
老師のお弟子さんの修行僧が木版を鳴らす音で目ざめる。
その直後から鐘の音も聞こえてくるが、その時には洗面を済ませ、皆がすでに禅堂で坐禅を組んでいる。まだ真っ暗で、シーンとした静寂と冷気、それ に線香の香りだけがある。
午前7時 粥坐(朝食)
毎食後には老師による法話がある。短いと数分、長いと一時間を超えることもある。
食後、初参禅者は直ちに禅堂にもどり坐禅。二回目以降の参禅者は、適宜作務。(後かたづけなど)を行い、坐禅
正午 斎座(昼食、法話)
食後、初参禅者は直ちに禅堂で坐禅
午後6時 薬石(夕食)
食後、初参禅者は直ちに禅堂で坐禅
夕食前後 逐次開浴、夏淋汗(初参は数日入浴できないこともあるらしい。今回は一日置で入浴させていただいた)
午後10時 開枕(就寝)
ただし、禅堂は24時間開いているので徹夜坐禅も可能。
つまり起きている17時間のうち、食事時間と入浴時間、トイレ時間以外のすべてが坐禅となる。短くても一日14時間は坐禅なのだ。
到着した初日。さっそく修行者としての格好に着替える。道場着に袴すがたになるのだ。そして老師の部屋に到着のあいさつに伺う。
二月のインド旅行でご一緒している老師は、親しげな笑顔で迎え入れて下さり、
「武沢さん、よく来られたね。あなたは相当忙しい人だと聞いているが、果たしてそんな中を一週間も割いてよくぞ参られた。ところで、改めて聞くが、何しに参ったのかな。」
「はい、悟りを求めて参りました」
こんなやりとりから始まって、悟りとはどういう事なのかを私にも分かるようにお話し頂いた。
最後にこんな予期せぬ注意事項を受けた。
「当道場において守ってほしい決まりがある。まず第一に、悟りを得ることが第一目的なので、それ以外のことで無駄な我慢や遠慮をしなくても良い、ということだ。たとえば坐禅中に足が痛ければ崩す、眠くなれば好きなときに好きなだけ寝て良い。腹が減ればいつでも食堂にはお茶菓子が用意されておる、という具合だ」
「ほぉ~。そんなに自由でもよろしいのですか?」
「心の自由自在を求めて参ったはずのあなたが、それを得るために不自由な思いをしていては本末転倒ではないか」
「なるほど」
「注意事項の二つめは、すべての時間が悟りを求めての修行であることを決して忘れない。歩くときには歩くことに徹し、放尿にありては放尿に徹し、咀嚼にあってはただ咀嚼する。そのことになり切り、気持ちを他のことに外してはならない。心身一如になることだ。そのためには、何ごとにおいても道元禅師が言われる『薄氷を踏むが如くすべし』である。普段の生活のスピードの10分の一で行動することを忘れないでほしい」
「十分の一ですか。わかりました。そのようにいたします」
だがさっそく初日の薬石(夕食)の時、老師から
「武沢さん!あなた外してるよ」と食事中に大きな声で叱責を受ける羽目に。
手を伸ばし、おかずをとりに行くときの行動が心身一如になっていないのを見破られたようだ。おかずをとるのなら、只とることに無我夢中になっていなければならないのに、私は他のことにも心を配りながらとりに行っていたのだ。
<明日は坐禅そのものについて書いてみたい>
少林窟道場
http://www.geocities.jp/shorinkutu/index.htm
少林窟五世 井上希道老師について昭和15年、広島県 勝運寺に生まれる。
愛知県豊橋市・全久院に小僧として10年間安居。
愛知大学哲学科卒業後、少林窟道場に安居し、義光老師、大智老尼に22年間師事。
京都フォーラム、将来世代国際財団と深い関わりをもち、大乗精神を掲げて世界各地で活躍。その様子は「参禅まんだら」「地球サミットから始まるもの」などにも詳しく記されている。
海蔵寺住職。