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テストと考査

変化するとは、今の上に新しく何かを付け足すことではない。
いったん死ぬことであり、いったんやめること、いったん忘れることから始まるものだ。

話し方をマスターするとは、話し方の新しい技法を身につけることではなく、話し方を根本から変えることである。同時に生き方を変えることでもあるのだが、そのことに気づかなかった私は大失敗した。

某月某日。

日本話し方センターの故・江川ひろし先生の講座を受けたときのこと。
初日の研修が終わろうとする時間に宿題が出た。明日までにやってくるものらしい。

それは、今日の講座でどの程度学んだかをチェックする目的で、テキストやノートを見ても構わないという。いわゆる「考査」というやつだ。だから、学んだ通りの表現や言葉を使って回答するようにと注意されたのだが・・・。

「なんだ、かんたんじゃないか」
出題を見て、私は安堵した。そして、どこかでなめてしまっていた。
受講者仲間とファミレスでハンバーグを食べながら余裕で片づけた。

そして、翌日の午後、試験の結果発表があった。
「それでは成績の良い順に答案をお返しします」と事務局。

私は、自分が首位で100点満点だと信じていた。
「トップのかたは、山本太郎さん。88点です」耳を疑った。自分の名前ではない人が呼ばれ、しかも88点だという。
何か回答をミスったのか。

「二番目の方は85点で須藤ちか子さん」、「三番は81点の松木順さん」・・・・。

あれ~、全然私が呼ばれない。

最初は何かの間違いだと思っていたが、だんだん自信がなくなり放心状態になりかけたそのとき
「24番めのかたは、武沢信行さん。43点です」

33人中24番。
江川先生から答案用紙を受け取り、席へもどる。身体が火照っている。
答案用紙は×だらけ。これが「考査」というものの恐さだと知った。

他の生徒たちは、テキストの表現や講座中の板書メモに沿って忠実に回答していた。
私は、出題の主旨を理解し、自分の言葉づかいで回答した。
いわゆる「テスト」だったら私は100点だったかもしれないが、「考査」では43点だったのだ。

この出来事を通して、学ぶことにも二種類あると強烈に思い知らされた。
一つは、主旨を理解する学習法。
もう一つは、学んだことをそっくりそのまま再現できるように学ぶ学習法。

主旨を理解すれば充分な学習もあるが、形や型を身体で覚えるような学習は徹底した型の反復訓練が必要だ。主旨の理解だけではダメな学習だってあるということだ。

その場合には、今までの知識や経験はかえってジャマになる。何も知らないほうが都合がよいのだ。だったら、積極的に忘れよう。知らないことにして、最初から教わろう。

そうした真摯な姿勢が、真の変化の原動力になる。


日本話し方センター http://www.ohanashi.co.jp/