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ぜんざい屋

もし松下幸之助がぜんざい屋をやっていたら、”経営の神様”と称されるほどの経営者になっていただろうか?
実は、松下翁は、ぜんざい屋をやろうと真剣に考えていたときがあるのをご存知だろうか。

大阪電灯に入社してまもなく、肺尖(はいせん)をわずらった。兄も姉も結核で亡くしているので本人は戦々恐々とした。血痰まで出たときには、「ついに自分にも来るべきものがきたと」悲観した。
医者で肺尖カタルと診断され、「仕方なし、殺すなら殺せ」と開き直り、かえって心が安定したという。病気の進行も止まり、大阪電灯を退職して独立することを決意。

「商売をやろう」

その動機は、体が弱かったから。電灯会社は日給制度。体の弱さのために会社を休んでいては収入が不足する。なにか小さい商売でもして、自分が休んでも家内がやってくれる商売が良い、と考えた。

「自分は酒は飲まないが、甘いものが好きなので、ぜんざい屋を家内とやろう。ぜんざいだったら夫婦でやれる」

そんなころ、松下はソケットを考案したが採用されず、自分で電気器具の製造をやろうと決断。退職金と貯金をはたいて大正7年(23才)で独立。住居兼工場での旅立ちだった。


・もし松下翁の体が丈夫だったら?
・もし松下翁がぜんざい屋をやっていたら?
・もし松下翁考案のソケットを大阪電灯が採用していたら?

歴史のifには興味が尽きない。

あなたも今、歴史のど真ん中にいる。
今の仕事は大阪電灯か?ぜんざい屋か?はたまた世界の松下電器か?

<参考:ザ・メッセージ DVDセット
        NHKビデオ 日経ベンチャー (編集)>