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脱・談合発想

某日、某所。「談合ってどう思います?」とA社長に聞かれた。

武沢:「違法ですし、もちろん良くない事だと思います」
A:「違法なのは分かるのですが、なぜいけないのですか?」
武:「もし談合が悪くないと思えるならば、それは供給側の都合のみしかみていないからでしょう。自由競争でしのぎを削り合ってこそ会社も個人も、社会も発展していくわけです。談合はそれを否定するものですよ」
A:「う~ん、わかるのですが・・・。業界体質として長年続けてきた談合を今すぐやめるのは実は大変なのです。ウチだけ勝手に抜け出て良いのやら。下手をすると地域内の業者全体を敵に回しかねないし、何かとリスクが大きい」
武:「談合は良くないと気づいていながらやり続けることの方がもっと大きなリスクだと思いませんか。可能なかぎり早くいろんな談合組織から身を引いて、新しい受注方法や取り引き環境を確立すべきです。それに、談合仲間にも同じ思いをもった人がいるはず。勇気をもって談合からの脱却とその破壊に取り組みましょう」


私たちは、”機会の均等” と “結果の平等” とを混同してはならない。
結果平等を願った共産諸国が崩壊したのをみれば一目瞭然のように、競争の不在こそ社会の堕落につながる。談合もまさしく結果平等を願う行為であり、機会の均等を阻むものだ。

競争の不在、結果の平等の最たるものが、順位をつけない駆けっこである。一等からビリまでの順番を付けない徒競走に何の意味があるというのか。教育現場がここまで骨抜きになったことに茫然自失するが、それに近いことが経済活動でもまかり通っているのが今の日本の市場環境なのだ。

急がれる日本の改革テーマは、市場原理の導入である。
「国家」や「官」に依存した今の経済システム(計画経済)を根本から覆していく取り組みでもある。
ますます適者生存が進む一方、勉強も努力もしない企業や個人はすぐに淘汰されるようになるだろう。倒産率は高まるだろう。
逆からみれば、やる気がありさえすれば、いかなる個人や企業にも新規参入のチャンスが与えられる本格的市場経済の到来でもある。起業率もぐっと増えるだろう。ダイナミックな日本が復活することを期待したい。もちろん私たちは事業家は、規制に守られる側に回ろうとせず、規制緩和をチャンスととらえる側に回りたいものだ。

「今のままで良いんです、充分幸せですから」、「年収は少ないままでも、幸せに生きる生き方があります」などと現状維持を肯定してはならない。小さな成果で自分を納得させることこそ、エゴの裏返しのエゴなのだ。
向上心を決して失なうことなく、飽くなき探求心をもって努力することが人間としての自然な生き方ではないだろうか。

そのためにも、あなたの独創力が問われている。

冒頭の”脱・談合社長”も、地域内の小さな市場を守って利益を確保しようとするのではなく、世界に打って出るような雄々しい大志をもって事業に取り組んでいただきたい。そうすれば、おのずと、やるべきこと、やめるべきことが理解できてくると思う。

「情報化社会にあっては、独創力こそ人間としての存在理由になる」という冒頭の言葉を今一度味わってみよう。