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長崎旅日記

昨日、四日間の九州旅行から帰宅した。メインイベントは千秋楽の「博多非凡会」だったが、そのあとの三連休を利用して長崎まで足を伸ばしてみた。詳しくは私のブログで写真公開中。

「がんばれ社長!」ブログ http://www.blog.e-comon.co.jp/ 

旧暦の9月9日を重陽の佳き日として祝う中国の風習が博多から九州各地につたえられ、9日のことをくにち→クンチとよぶところから生まれた「くんち」、「おくんち」。

福岡市櫛田神社の「博多おくんち」、佐賀県唐津市の「唐津くんち」、長崎市諏訪神社の「長崎くんち」が有名だが、今回私は「長崎くんち」を見学してきた。すごく良かった。

江戸時代の初期(寛永年間)に諏訪神社に二人の遊女が踊りを奉納したのを起源とするこの祭りは、今では毎年10月7日~9日に開催される国指定の重要無形民俗文化財だ。また来年も見に来たいと思えるほど感動した。

長崎くんち公式サイト http://nagasaki-kunchi.com/ 

「くんち」を堪能したあとは、「日本の夜明けは近いゼヨ」と語った(真偽は定かでない)坂本竜馬が作った亀山社中を見学した。後の海援隊につながる日本最初の会社だと言われているその場所に、その当時のままの建物が残っているとは知らなかった。


博多非凡会の山本さんの情報でさっそく駆けつけたところ、土日の午前、午後の計4時間だけ内部を解放し、ボランティアの方が解説をして下さるという。ちょうど開いていた。
天井と畳以外はすべて当時のまま。ちょっと細めの大黒柱はツヤツヤと光っているが、これは竜馬がいつもそこを背にしてもたれかかっていたのを観光客が真似るからだという。もちろん、私ももたれた。


正座が苦手な竜馬は右膝を立て、左足を股にかかえるようにして座るのが癖だったと言う。
亀山焼きの産地としても名を馳せたことがあるここ亀山で作った社中(仲間とかグループという意味)だから亀山社中なのだ。

竜馬を堪能した翌日は、なんと言っても長崎海軍だ。

勝海舟に弟子入りし長崎や横浜で海軍を学んだ竜馬。ここ長崎でも海軍伝習所の運営に参加している。
「僕も長崎港から船にのってみたい」と思って船着き場に行くと、面白いツアーがあるのを発見。

「軍艦島回遊ツアー」だという。100分で3,000円也。

長崎港からフェリーで約40分で軍艦島に着く。正式名称は「端島」というが、俗名のほうが有名になっている。島の東側からみると軍艦土佐によく似ていることから命名された。

石炭全盛の時代、この島の海底炭坑から良質な石炭が豊富にとれたことから炭坑関係者の家族が移り住み、全盛期にはこの小さな島に5千人が住んでいたという。もちろん、高層アパートばかりで、他に学校や病院、スーパーやパチンコ店、居酒屋などもあったという。
移動が楽になるように、アパートの上層階で通路が繋がっていたりもした。

だが、昭和49年の炭坑閉山とともに人口が減り、今では立ち入り禁止。荒れ放題でどこかもの悲しい。

最後に出島だ。

幕府の天領・長崎で唯一出島を通して海外と繋がっていた江戸時代の日本。長崎の豪商が出資して作った人口島であり、家賃は年間一億円。
それでも喜んで払っていたと言うから、当時の日本貿易はオイシイビジネスだったのだろう。

明治に入って埋め立てられ、長崎市内の一部になっているが、この出島を江戸時代当時のままの姿に復元し、もとのような形に戻そうというプロジェクトがある。完成までまだまだ時間はかかるが楽しみだ。


最後に、来年長崎では日本初の歩く博覧会「長崎さるく博’06」を開催する。街をあげてすでに盛り上がりをみせている。
さるく、とは歩くという言葉の長崎弁。

機会があればあなたも来年長崎をさるいてみませんか?

「長崎さるく博」http://www.sarukuhaku.com/