甲子園もいよいよ準々決勝。今大会からも何人かの選手がプロ野球に入り、子供や大人に夢を与える選手が表れてくれることを期待したい。
プロの世界で活躍し続けるためには、天与の才能だけではムリだ。
その証拠に、甲子園で大活躍し鳴り物入りでプロに入ったが、その後、鳴かず飛ばずでひっそり引退してしまう選手がいる。
その一方では、高校・大学では無名に近い存在だったが、社会人野球で開花し、遅咲きのプロデビューを果たしてから大活躍する選手もいる。
そうしたところも見抜くのがスカウトマンの腕のみせどころなのだろう。
早熟か晩成か、それはプロスポーツだけでなく、ビジネスマンだって同じことが言えそうだ。
YKKの創業者・吉田忠雄(1908~1993)は、晩年になっても「私は人を見る目がないかもしれない」と率直に周囲に語っていた。
その理由はこうだ。
優秀な大学を卒業し、お世話になった方から推薦状までもらって鳴り物入りで入社した人材が50才になってもパッとした活躍をしていない。その一方で、若いころはまったく目立っていなかった人材が、やがてグイグイと成長して今では会社の大黒柱になっている。
そうした実例を何度も見てきた。だから自分は、人を見る目がないのだと。
たしかに人の評価ほどあてにならないものはなく、吉田氏は一般的な人事考課制度にも疑問をもっていたほど、人が人を見抜くことに対して限界を感じていたようだ。
他人の評価はまったくあてにならない。特に評価される側の人間がまだ未成熟で若いときに、「君こそ将来の我社の社長だ」とか、「俺の次は君だ」などと口約束をしてはならないと思う。
辞令は会社が書いて本人に与えるものだが、吉田氏は、辞令の本質は「自分が書くもの」だとも語る。
たとえば、”ロンドン支店へ行かせてほしい”と社内意向調査で積極的に書いてくるような人材は、たとえ能力が70しかなくても空きポストが出たらロンドンに行かせるようにしてきたという。
能力が100あっても、会社からの命令だから、と渋々行く人間とでは意気込みが違う。
その意気込みが勇気や努力や工夫の差となって表れる。だから、会社勤めしていても、自分の辞令は自分で書くような人間にならなければダメだと教えてきたそうだ。
能力を超えるものは、情熱や工夫や知恵だ。それさえあれば、いくらでも自分の辞令を自分で発行できるのだと。
それは、吉田自らの生い立ちからくる経験則でもあろう。