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紹興と周恩来

W杯予選が佳境に入り、コンフェデ杯やワールドユースなど、サッカーが熱い。今夜も眠れそうもないが、熱いのはそれだけではない。

世界規模での外交問題も相当熱いバトルが繰りひろげられている。
日中・日韓の間では、今だに外交カードとして靖国参拝問題が首脳会談の重要テーマとなり、常任理事国入り問題をめぐっては、表と裏で激しい外交バトルがあるようだ。

こうなると、まるで権謀術数の世界だが、そうした小手先の駆け引き上手だけでは自国や世界をリードできない。
自国の国益にとらわれすぎたり、自分の保身や栄達を第一に考える政治家が外交や交渉ごとにのぞんだところで主張の応酬におわるだけで解決の糸口はみえてこないのだ。

そんななか、周恩来のこんな言葉を思い出す。

「事能知足心常泰 人到無求品自高」

・・・足ることをよく知っていることで心は常に泰然とし、求めない心によって人は自ら高い品格に到る・・・

という意味だろう。こうした政治家、こうした経営者、こうした指導者の登場が待たれてやまない。

先週、その周恩来が若いころを過ごした街・紹興を訪問した。

紹興市は杭州市の東南67km、上海からは南西200キロにある人口433万人余りの町で、杭州からバスで約1時間、電車なら35分ほどかかる。
中国十大名酒の一つ「紹興酒」が生まれた所でもある。
別名「東方のベニス」とか、「江南のベニス」などともよばれるだけあって、市内には川と運河が縦横にめぐり、物質を輸送するジャンクや漁業用船、珍しい昔ながらの苫船など様々な格好をした船が行き交っていて風情がある。

紀元前6世紀後半、春秋戦国時代末に興った越王国が会稽(かいけい)を都としてから発展してきた町で、三国志でも幾たびか登場する地名でもある。1131年に会稽を紹興と改名した。

昔から、陸遊、王羲之、魯迅などの文学家、画家、書道家が輩出し、いまも魯迅の生家や記念館がある。また、周恩来も幼少の一時期を過ごしていることからその当時の家を記念館として公開している。
日本とも交流が深く、西宮市や芦原町(福井県)、福光町(富山県)などとも姉妹友好都市の関係を結んでいる。

無私の政治家として中国国内外で評価が高い周恩来。彼が好んで使っていた言葉が先ほどご紹介した

「事能知足心常泰 人到無求品自高」

なのだ。

もともと会社という組織は、経済的目的の実現を第一とする。利益がなければ存続すらできなくなるし、自らの将来を保証する意味からも高い利益とその蓄積は不可欠だ。

だが、「我社は幾ら儲けた」とか、「年収が幾らになった」ということを自慢気に語ることは本来恥ずべきことだ。中にはあえて人を鼓舞するためにそうした分かりやすい表現をしている時もあろうが、残念ながら多くは浮かれすぎている。儲けたことがそれほどうれしいのか?と逆に質問したくなる。

儲けることや稼ぐことは善であるが、その使い途やその結果の心の状態が問われる。
経済的組織であるがゆえに、非経済的な高い理想も掲げる必要があると思う。それは社長の大切な仕事なのだ。