鹿児島に向けて旅立つ直前、空港の売店で鹿児島観光のガイドブックを買い求めた。
「これ下さい」とレジの女性に手渡すと、「あっ、これから鹿児島ですか、いいですねぇ。私、こうみえて鹿児島出身なんですよ。でも、なかなか帰れなくて」と言う。
「へぇ、そうなの。暖かくて良い所ですよねえ」と私が言うと、彼女はうれしそうな顔をしつつ、横にある本棚に移動した。そして、「そういえばこの本もなかなかおすすめですよ」と、ある書を私に手渡した。売店レジの女性に営業を受けるのは初めてだが、これも縁だと買い求めた。それが今日の主人公、「桐野利秋」の本である。
タイトルは『桐野利秋日記』(栗原智久著、PHP)という。
桐野利秋といえば、薩摩藩士・西郷隆盛の右腕として活躍し、西郷とともに西南戦争で逝った人物。
元の名を中村半次郎といい、池波正太郎の作品『人斬り半次郎』によって盛名を馳せた。軒先から落ちる雨だれが地面に達するまでに、刀を三度抜き三度鞘に収めることができたとも言われ、文字も書けない武闘派というイメージが強い。
だが本書では、桐野自身が書き残した4つの史料(「京在日記」「会津戦報」「鎮台建言書」「時勢論」)をひもといて、真の桐野を浮き彫りにしている。
特に、「京在日記」は幕末ギリギリの慶応3年9月1日から同12月10日まで、一日も欠かすことなく書かれた日記であり、歴史が動いている最中の伸るか反るか、どちらにころぶかわからない迫力が伝わってくる歴史的価値あるものだという。
私は、名古屋・鹿児島間90分のフライトで一気にこの本を読んだ。
薩摩には「議を言うな」という言葉がある。言い訳をするな、つべこべ言うな、という意味だが桐野自身の生き方もまさしくそうで、多くを語らなかったゆえに今だに桐野の実像は定まっていない。見る人によって、いろんな見方がされている希有な人物だろう。
桐野は、ただ熱い人というだけではなかったようだ。活動そのものが、「義挙」なのか「暴挙」なのか、はたまた「愚挙」なのか。そうした時勢を判断する冷静さをもち、国外の英雄の活動も研究していたようで、次のように述べている。
「今日の時勢に処するための道は三つある。一は天に起こり、二は地に起こり、三は人に起こるもの。志士たるもの、よく時勢をつまびらかにして起たざるべからず。余は、人に起こらんと欲するものなり。
今の時にあたり、志士のとるべき道は、人に起こるほか道はない。余は断じてナポレオン・ワシントンに倣わんと欲す」
時に乗ずることや、生き場所・死に場所を判断するよりどころとして次のような名セリフも残している。
「時至らざればすなわち朽ちて已む、至ればすなわち手に唾して起つ。憂国者の為すところは素よりこのごとくあるべきである。天下が麻のごとく乱れ、怨嗟の声が四海に満ちるにおよんで、而後に発する。発するに、あらかじめ成敗を論じない。ただ、この挙たるや、実に義挙である。尽くすもこの時である。死するもこのときである。」
つまり時期が来ていないと思えば、じっと我慢する。時期が来たと思えば、手に唾して立ち上がれ。成功失敗は考えてはいけない。この行為に大義名分があるかないかだけを常に考えよ。全力を尽くし、死に場所もこの時である、という意味だ。
当時の武士にとって、「死」は今日ほどネガティブではない。命の使い場所を得た武士の死は、むしろめでたくもあった。
最後に、時期が来ていないときの準備の仕方として、財産を蓄えながら士気精神を養え、としてこんな現実的な教えも残している。
「今日志士として自ら任ずる者の欠点とするところは、士気余りあって、恒産乏しきにあり。いやしくも、恒産無ければ、どうしてよく国家の大事に任ずることができるか。今日の志士たる者、宜しく農業に従事し、士気精神を養い、国家の変に応ぜざるべからず」
いかがだろう。
儲かりそうだからやる、儲かりそうもないからやらない、という判断だけでなく、やらねばならないからやる、という行動基準もあって良いはず。その行動基準は、理念や価値観を明確にしている人には備わっている。
この本を読んで、桐野利秋を結構見直した。あらためて、本の作者と売店の女性に感謝したい。