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喜怒哀楽の上にあるもの

先週末は名古屋と薩摩(鹿児島)で相次いで非凡会があった。奇しくも両非凡会とも一次会40名、二次会25名という参加者をあつめた。(薩摩は四次会まであったが)
ともに中味の濃い、立ち去りがたい交流と学びができた。今日はまず、薩摩非凡会からこぼれ話を。

明治維新当時、日本の人口は約3,400万人。そのうち、志士として革命に加わった若者は約4,000人だという話を友人から聞いたことがある。
つまり人口一万人につき一人の志士がいて、その志士が結束すれば国は動くということだ。今日では人口1.2億人なので、単純計算すれば、1.2万人の志士が結束すれば国は動くはずだ。

では、志士の条件って何だろう?

鹿児島大学法文学部教授で日本近世・近代史を専門にされる原口泉先生は、非凡会での講演で次のようなお話しをされた。

・・・薩摩には独特の地域教育である「郷中(ごじゅう)教育」というものがあり、その基本は「日新公いろは歌」である。戦国時代、島津家を中興した日新公忠良(ただよし)が、神・儒・仏を融合させ、47首の歌にして人の道や政治をなすものの心構えなどを説いたものだ。

「はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日もと学びをばせで」

人の命など明日はどうなるかわからない。明日を頼りにせずに、今日できる限りのことを学ぶべきである、という意味だ。

薩摩に限らず、明治維新の志士たちが書き残した書や手紙、日記などを見ると、皆、大変な歌人であったことがわかる。西郷しかり、松陰しかり、竜馬しかり。今の平均的日本人に比べ、もっとすごい感情の豊かさをもち、感動する力を彼らは備えていたのだろう。またそれを歌や詞の中に凝縮する力があった。感情を陶冶して生まれる「情緒」が豊かであることが志士たちの共通点だったように思う。
・・・

として、原口先生は世界的数学者・藤原正彦氏のことばを紹介した。

「仮説をいかにうまく立てるかは、ひとえに情緒による。数学には論理的思考力が必要であるが、知識と情緒力も重要である。特に、「美しい物を美しい」と感じる情緒力は、仮説を作る出発点と、いくつかの論理的に正しいものの中から1つを撰ぶ判断に不可欠である。日本人はこの情緒力にすぐれ、繊細な感受性を持っている」

なるほどぉ、すごいお話しを聞いた。
情緒を持つことが数学にも大切だったとは正直いって驚きだ。

・・・喜怒哀楽という人間の素直な感情を陶冶していくことで、情緒が育まれる。情緒とは、

・人の悲しみを自分の悲しみにできる気持ちであり
・昔をなつかしむ心や、ふる里や地域に対する特別な思い
・もののあはれ、わび、さびの気持ち
・・・
だと藤原教授は言う。

これら、情緒を育む教育が昔の師弟教育のなかで自然に行われていたのだろう。私は原口先生に質問した。

「数学に情緒が必要なのはわかりましたが、志をもつ能力と情緒とは関係があるでしょうか?」

先生の答えはイエスだった。そして先生自身が20年以上前に体験された、「この人たちのおかげで自分が仕事ができてるのだ」という強い自覚を持つにいたった実話を聞かせていただいた。
その詳細は割愛するが、会場にいた薩摩人は皆、それに涙した。会場内に情緒が満ちあふれた瞬間だ。ここから人としての理性も志も始まる。

原口泉先生 http://kkq.jp/haraguchi/


<明日は薩摩人 桐野利秋について>