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人はコストか?

25年ほど前のこと。愛知県の青年会議所が主催した「青年の船」に私は乗った。数百名の若者が約二週間の船上生活をし、香港、台北、中国の廈門(あもい)の三カ所を回る。
この当時、政治的な意味でこの三カ国を一気に回ることは相当にむずかしく、希少価値があるツアーだったようだ。

このときの思い出は数々あるが、中国の廈門でみた「れいし(ライチとも言う果物)」の缶詰め工場の光景は強烈だった。
「こんなのありか?」という位、のんびりした工場なのだ。

れいしの皮をむく機械、れいしを缶に詰める機械、缶のふたをする機械、その他いろんな機械があった。もちろん全部が手動の機械で、オートメーションや流れ作業用のコンベアも何もない。

おまけに一台の機械に数人の女性社員が集まって運転している。実際に操作しているのは一人なので、あとの人たちはただ見ているだけだ。と言うよりも、数人が私語を交わしながら楽しそうに、いやダラダラと働いていた。

当時まだ25才で、知識がない私ではあったが一応は工場出身者だ。通訳の人に質問した。
「人が多すぎるのではないですか。もっと人員削減ができるはずですが。」
すると、日本語が堪能なこの中国人通訳は意外な返事をした。
「せっかく仕事があるのだから、みんなで分け合わないとダメでしょ。それが社会主義なんですから。」

あれから25年たった今、中国の政府要人は日本の会社が経営する工場を見て、こう言う。
「どうしてコンベアの流れ作業ではなく、一人または少人数単位で一つの工程すべてを行っているのですか?非合理的じゃないですか?」

言われたのはキャノンの中国工場だ。

この25年間に、中国は躍進を遂げた。特に製造業の分野では圧倒的コスト競争力をもつにいたった。
だが、日本の製造業も変質したことを、この政府要人は知らなかったようだ。

キャノンの御手洗社長は、ソニーのプレイステーションの生産ラインで取り入れたセル生産方式を見学し、「これだ!」と感激し、自社工場への全面導入を決意したという。

初期資本主義においては、人をコストと見た。だから人が少ない、あるいは人がいない工場が最強を誇った。
だが、日本の製造業が模索している新しい資本主義では、人は知を生む存在である。一人一人が多能工化し、創意工夫の意欲に目覚め、職人魂が喚起されるのを望む。

キャノンでは、多能工の頂点にたつ人たちを「スーパーマイスター」と呼び、川上に対しても川下に対しても司令塔的存在として尊重している。キャノンの製造現場に従事する人たちにとって、あこがれの存在でもある。

(参考:『イノベーションの本質』野中郁次郎、勝見明 日経BP)
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製造業にとって、セル生産方式が人間性を尊重し、人が知を生む存在と認めるシステムならば、営業も開発も管理もマネジメントも、すべてまだまだ未開の画期的システムがあると信じて良かろう。