空海が天皇の許しを得て高野山に修行道場を開いて来年でちょうど1200年になる。高野山では 1200周年を記念して来年 4月以降、連日法会が開催される。おそらく来年になると宿坊の予約が困難を極めるかもしれず、興味のある方は早めに日程をきめて宿をとられると良いだろう。
★高野山1200周年 HP→ http://www.koyasan.or.jp/kaiso/index.html
★高野山宿坊→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3994
興味深いことだが、その高野山に司馬遼太郎の功績を称える石碑が建てられている。『空海の風景』の影響の大きさを感じさせるできごとである。この作品では、神話化した弘法大師・空海ではなく、人間として等身大の空海に近づきたいと作者が丹念に史料を読み込みつつも、最大限の想像を働かせて書いたものだという。そうした想像力の一部の密教信者やファンが「空海さんをなめるな」という怒りの対象になったときく。だがこうして、当の空海の本拠地が石碑を建てるぐらいなのだから、空海の度量が大きいというべきか。
★高野山の司馬遼太郎石碑
→ http://www.koyasan.or.jp/news/081003.html
また、空海や高野山に関する iPhone アプリというものも見つけた。無料だが、般若心経の写経と読経ができるものは有料(100円)になっている。Android 版 に同じものはないが、密教教典「理趣教」がアプリになったものがある。
★iPhone 版「空海 心を磨く言葉」
→ https://itunes.apple.com/jp/app/id551513178
★Android 版「理趣教」
→ https://play.google.com/store/apps/details?id=info.ohenrosan.rishu&hl=ja
さて、昨日のつづき。
2010年の上海万博にあわせて遣唐使の船と同じものが復元された。それがこちらの写真である。いまとは比較にならないほど単純な船で、航海術も乏しく気象や海流を読む技術もない。しかも台風の季節に出発することが多く、人船ともに海のもくずと消えたり、南の島に漂着したりした。
★遣唐使船
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3995
遣唐使の一員になることは名誉ではあるものの、無事に生還できる割合が 8割程度と低い。遭難や船酔いなどをおそれて派遣の命が下っても辞退を申し出る者や、仮病などをつかって断る者がでた。なかには、一員になることを承知したものの、死への旅立ちをおそれて発狂する者もあったという。それが遣唐使(もちろん遣隋使も)の実態であった。
最澄らを乗せた第 18次遣唐使団は、四つの船に分かれて今の大阪湾を出発し瀬戸内を航行していた。家族の反対を押しきって前年に得度し、正式な僧になっていた空海は遣唐使の一員になりたいと申し出た。しかし、すでに出航したあとならばあきらめるしかなかった。ところが空海の運の強さは、最澄らの船が遭難し、修理のためにもどってきたことであった。空海はそれに乗った。
すでにエリート僧であり、空海より 7つ年上の最澄は還学生(げんがくしょう)という身分で短期渡航だった。一方、空海は若くて名もない僧だったので、留学生(るがくしょう)として 20年唐で勉強してくることが定められていた。四つの船団のうち、空海は第一船に、最澄は第二船に乗った。四つの船は互いの灯りを目視で確認しながら大陸の港(明州、今の寧波)をめざした。
結局このとき、第三船と第四船は遭難した。第三船は南の島に漂着し助けられたが、第四船は全員が帰らぬ人になった。このあたりにも空海の強運がある。だが最澄の船は予定通りに港に着いたが空海の船は、迷走をつづけた。結局、予定の日数を大幅に超過する 34日間かけて今の福建省の赤岸鎮(せきがんちん)に漂着した。普通なら約一週間なので、東シナ海をぐるぐる彷徨っていたことになる。赤岸鎮では、日本側の大使が筆談で交渉したが、意図が通じず、海賊か密輸船ではないかと怪しまれてしまった。船の損傷がはげしいことと、遣唐使の船であることを証明するものがなにもなかったからである。
このとき、空海の筆と教養が役立った。唐の役人が驚くほどみごとな中国語による手紙で、しかも稀にみる能書で自分たちの境遇を訴えたのだ。唐の役人に態度は一発で変わった。「どこでこうした素養を学ばれた?」と唐の役人だけでなく同船者からも聞かれたに違いない。空海は大学を中退した四国の山林で修行しつつ、独学で語学や書、文章術などを学んだのであろう。
こうした紆余曲折はあったものの、空海が乗った第一船の一行も無事長安に到着した。宿坊をあてがわれ、空海はインド僧からサンスクリット語を学んだ。そして五ヶ月後、密教を日本にもちかえるという大目的を果たすべく、いよいよ行動を開始する。
<明日につづく>