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続・責任感は育てるもの

昨日の続きで社員の責任感問題を述べる前に、昨夜届いたメールが面白いのでご紹介したい。匿名希望なのが残念だが、以下、ほぼ原文のまま。

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弊社はまだ数名規模の小さな会社だが、社員に対していかに自覚とやる気をもってもらうかということをもっぱら考えてきたつもりだ。おかげで取引先もうらやましがるような人材集団だと自負していているが、これも他社事例などを参考にしつつ考案した独自のポリシーによるもの。「がんばれ社長!」の読者の参考になれば幸いと思ってメールした次第。

1.社員の名前を源氏名にした。これはある建機会社がそのようにしているのを知って2~3年前に導入して以来、社内が明るくなった。例えば、信長ファンの山田君の場合は、織田信昌(本名:山田信昌)にしてから信長らしく英雄的にふるまうようになってくれた。以来、織田君の営業開拓ぶりはすさまじい。

2.新入社員以外は全員が経営管理者。入社二年目からは全員が何らかの部長職(以上)に付くことにした。例として、営業部門の二人はいずれも営業部長、経理のかみさんも総務経理部長、昨年入社の事務アシスタントも社内システム管理部長などの名称を与え、部長手当を支給している。そのかわり、ほぼ全員が管理職なので残業手当対象者はいない。役職のインフレだと社内外で笑われるが、損するものはなにもない。いや、むしろ部長の名刺を外で配れるので社員からは好評だ。

3.役職と共に大切なことは給料だ。給料を地域内の上場会社よりいつも上回るように維持してきている。何だかんだと言って、社員は給料の高さや待遇の良さがあってはじめて責任感を感じてくれるように思う。それだけではなく、全員が三ヶ年年収目標を作って給湯室の壁に張りだしてもある。
 
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この会社、発想が面白い。こうしたユニークな政策をとれる所が中小企業の魅力だ。
せっかくなので、一点だけ気になることをアドバイスしたい。三番目の給料についてだが、半世紀前に書かれた『現代の経営』(ドラッカー著)のなかで著者は、「働く人たちが責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人たちに対しては、責任を要求しなければならない」として次のように続ける。

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責任は金で買うことができない。もちろん、金銭的な報奨や動機づけは重要である。しかしそれらのものは、消極的な意味をもつにすぎない。
金銭的な報奨についての不満は、マイナスの動機づけとして、仕事に対する責任感を低下させ、腐食させる。しかし金銭的な報奨についての満足は、明らかに、積極的な動機づけとして十分ではない。金銭的な報奨が動機づけとなるのは、他のあらゆる要因によって、働く人たちが責任をもつ用意ができているときだけである。
(『現代の経営 下』182頁
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金銭が低すぎるとマイナスの要因になる。だが、金銭を上げれば動機づけになるかというと、そうでもない。もともと責任感を持ち合わせている部下にとっては金銭が動機づけになるが、責任感のない社員に金銭を与えても動機づけにならない、とドラッカーは指摘しているのだ。


さらにドラッカーは、仕事において責任を持たせる方法を四つ上げている。その四つとは、

1.正しい配置
2.仕事の高い基準
3.自己管理に必要な情報の提供
4.マネジメント的視点をもたせるための参画の機会提供

である。

一つめの「正しい配置」について

いつ、いかなる場所にいかに人を配置するかによって、一人ひとりの社員がどの程度生産的になれるか否かを決める。従って、人が生産的であり、尚かつ仕事に責任をもつような仕事ぶりをするための最適な方法というものを耐えず考案開発していかなければならない。

二つめの「仕事の高い基準」について

何をもって“合格”“不合格”というかは、顧客からのクレームや感謝の有無だけではないはずだ。最高レベルの仕事をしたときだけ社内基準で合格が出るようなものを作り上げていこう。決して、クレームが出る直前の最低限度の仕事が合格であってはならない。

三つめの「自己管理に必要な情報の提供」について

人は他人によって管理されることを望まない。自己管理にゆだねられることを欲する。自らの仕事ぶりを管理・評価し、必要によっては軌道修正を検討できること。それが可能な情報の提供や共有ができていなければならない。

四つめの「マネジメント的視点をもたせるための参画の機会提供」について

ドラッカーの言葉を借りれば、
「働く人たちは、マネジメント的な視点をもつときにのみ、すなわち企業全体の成功と存続に責任をもつ経営管理者のように企業を見るときにのみ、最高の仕事への自らの責任を果たすことができる。そのような視点は、参画を通じてのみ獲得できる」とある。

昨日号の田中社長(仮)の場合は、今まで、社員に責任を要求するための方策に手抜かりがあったことを知ろう。決して遅くはないので、昨日今日で申し上げたことを応用していってほしい。