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最後は気合

「どうも違うような気がして・・・」
「何となくまだ踏ん切りがつかなくて・・・」

と、せっかくのアイデアを実行に移さない人にお目にかかる。なぜ、違うような気がするのか、なぜ踏ん切りがつかないのかが問題だ。


思春期は自分探しの時期である。中学・高校、それに大学に通う時代がそれにあたるのだが、今では30才くらいまで自分探しをする人が少なくない。それどころか、一生かかって自分探しが終わらないのが人間かもしれない。

・自分は何ものか
・自分は何を成そうとしているのか

を知ることが、自分のアイデンティティになる。それを志とか使命などとも言うが、それらは早く決めるほど良い。なぜなら、人生は有限だから。

かつて、「モラトリアム」という言葉が流行した。これは、猶予期間という意味で、本当の自分らしい人生を始めるまえの「とりあえず」の期間を指す。とりあえずフリーターになるとか、とりあえず就職する、という生き方だ。こうした生き方そのものは間違ってはいないが、問題なのは、いつまでとりあえずなのか、ということだ。

自覚があるかないかにかかわりなく、私たちの本番人生はすでに始まっている。充実した人生、実り多い経営を目指した闘いの本番は、未来に訪れるのではなく今日すでに始まっているのだ。なのに、モラトリアム的な人たちがなぜ多いのか。

あえて、人生を戦闘行為にたとえてみよう。戦争に勝つには五つの要素がある思う。それは、

・智恵(戦略、アイデア)
・技能(戦術や知識)
・軍備力(闘争心と資金力)
・情報(己と敵の状況を知る)
・気合(場面場面で必要なもの)

の五つだ。

最終的な勝ち負けの結果は、「運」が味方することも多い。天候の変化や機会の故障など、予期せぬアクシデントが彼我に起こりえる。だから「運」を足して六つにすべきかもしれないが、あえて自力の要素の五つにした。


「モラトリアム」のような期間がなぜ長期化するかといえば、上記の五つのうち、いま何待ちなのかが明確でないことなのだ。

冒頭であげた、「違うような気がする」「踏ん切りがつかない」人の多くは、「気合」が足りないだけかもしれない。