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才能以上に大切なもの

部下や同僚・後輩から好かれようと努力すれば、ある程度“人気者”になることは出来るだろう。だが、「人気者=尊敬される人」ではない。とくに経営者や管理者など、部下を使って目標を達成することをなりわいとする場合には、尚更のこと、尊敬される人物になる必要があるのだ。

尊敬されるリーダーの条件とは何か。

・部下に関心をもってくれる人
・高い目標にひたむきに挑戦し続ける人
・人間として筋が通っていること
・人間的な魅力があること
・親分肌な人柄
・・・などなど列挙していけば何十項目も出るだろう。いや、もっとあるかも知れない。

だが、ドラッカーはそれらのなかで、あるひとつの要素が欠けていたら失格だと言う。それは、「真摯さ」だ。これがなければ不適格だと断定し、次のように述べている。

・・・
彼らは、高い目標を掲げ、それらの目標が実現されることを求める。
だれが正しいかではなく、何が正しいかだけを考える。自分自身、頭が良いにもかかわらず、頭の良さよりも真摯さを重視する。

 つまるところ、この資質に欠ける者は、いかに人好きで、人助けがうまく、人づきあいがよく、あるいはまた、いかに有能で頭が良くとも、組織にとっては危険な存在であり、経営管理者および紳士として不適格と判断すべきである。
経営管理者であるということは、親であり、教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ決定的に重要である。
・・・
※『現代の経営(下)』(ドラッカー著 ダイヤモンド社)250頁より

広辞苑によれば、真摯さとは「まじめでひたむきなさま」とある。満潮の波が、ヒタヒタと波打ち際に打ち寄せてくるようなひたむきさで目標や目的の実現に立ち向かうことが大切だ。

このような真摯さは、どのようにしたら修得可能だろうか。もし世の中に、「真摯さ修得講座」というようなセミナーがあれば受けてみたい気がする。あいにく、ドラッカーは、「真摯さは学ぶことができない」と言う。もともと持っていなければならない資質だと言うのだ。

そのあたり、私も同意見である。

真摯さとは、誰かから与えられるものでもない。リーダーに就任したことから生まれる自覚によって真摯さが出てくるものでもない。人として、どんな仕事をしていても、どんな会社で働いていても、どんな権限や責任があってもなくても、仕事に対する真摯さの有無はいつでも個人に付いてまわるものなのだ。

つまり私たちは、ウラオモテなく誠実に一貫して高みに挑み続けるような仲間こそ、人材として迎えるべき対象と考えるべきだろう。経営者であるあなた自身に真摯さが必要なのは言うまでもない。