未分類

読者メール

昨日号「インセンティブ」に対しては、実にたくさんのメールを頂戴している。まずは、東京の経営者・富井さんのメールをご紹介しよう。

・・・
本日の太郎君への愚痴、全く身につまされます。小生3人の息子がおりましたが長男を10年前に20歳で亡くし、次男と仕事をしています。三男も社会に出て3年目それなりに充実した日々を送っています。二人ともそれなりに仕事をし、周りの人にもそれなりの評価は受けているようですが、親としては物足りない。小生は英語の読み書き話しを努力して身につけ、現在医療器具の輸入販売をしているのですが、子供たちはその努力をしようとしません。長男をなくしたとき、親より長生きをしてくれればそれでいいかと諦め、ぐっとこらえて、あまり口うるさくしなかったのが、次男との毎日がなんとか続いている所以です。小生には、諄々と子供に言い聞かせるような能力もありません。感情を爆発させないようにするのがやっとです。時代が違うのか、子供の資質の問題なのか、親の説得能力の所為なのか、悩み諦めるばかりです。
・・・

続いては東京のSさん(OL)だ。

・・・
私は、武沢さんの太郎君への訓示が、とても曖昧だなあ、と、感じました。そして、なんだか普通で、退屈で、どっかで聞いたことがあるぞ。と思いました。決して、「狂」ではないですよね。ただ、要点しか存知ませんし、お声を聞いていないので、真は、計りかねます。(中略)
話は変わりますが、学校の勉強ができるって、そんなにいいこと?と、私は思います。私は、内緒の話、学校の勉強ができました。優良企業と呼ばれる会社にもはいり、親はほっとした様子です。そして今、私は立派な大人なんだろうか?と、考えます。まったく子供じみてますが。
学校の勉強が出来ると、学校では、優越感にひたれました(メリット1)。さらに、難しい大学にも入り、その後、企業に入社できました(メリット2、3)。ああ、なんて便利。と、ほくそえみました。これは、私個人の感想なのですが。でも、最近思うのです。学校の勉強とそれに関る小さな栄光が色あせる中、その隙間隙間に確実にあった、友人との遊びや、恋愛、授業中教科書で小説を隠してよみまくったこと。それが、鮮明に今、私の血や肉やまとってる空気なのだと。どうやら、数学も、英単語もトイレに流してしまったようです。隙間にかつてあった出来事は、学校の勉強ができた便利さをなんなく一蹴しているのです。私は後悔が大きらいです。でも、受験戦争真っ只中で、若い肉体や精神を十分にかみ締め、味わっていただろうか?と、ふと思います。

ちなみに、この本。お勧めです。先入観なしで、だまされたと思って読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101036160/ 
・・・

三人目は愛知県のSさんからのものです。

・・・
どうして親は子供に勉強してほしがるのでしょうか?親のエゴの場合もあるでしょうし、子供のために良き躾を施している場合もあるでしょう。きっと武沢さんのことですから、ご自身のエゴで太郎君に説教されたのではないと思っています。でも問題なのは、武沢さんの思いが太郎君にどの程度伝わったか、です。

実は、私は小学校の時に太郎君にそっくりの状況だったのを記憶しています。毎日毎日三時間以上ファミコンをやっていて、よく親に勉強しろと怒られました。成績は良くなかったのですが、「勉強ができなかった」のではなく、「勉強をしなかった」(勉強以外のことに夢中になっていた)のです。
きっと今の太郎君は「勉強ができない」のではなく、「勉強をやらないからできない」という状況だと思います。つまり「やればできる」のにやらない。

私個人は、「やればできる」の行動の先が勉強でなく例えゲームであっても良いと思います。親としては子供にそう言えるかどうかは、悩むところだとは思いますが(苦笑)
・・・

その他、石川県の飯山さんや平井さんなど、沢山の興味深いメールを頂戴している。
すべてをご紹介できないが、皆さん礼儀正しく、真剣にご意見をお寄せ頂いていてありがたい。


指導する側として避けるべきことは明確だ。

・親と同じようであってほしい
・親と同じであってほしくない
・“成績優秀な子をもつ親”としてのプライドを満たして欲しい

という気持ちはすべてエゴからくるもので、子供には関係のない話だ。


文武両道というが、勉強や遊び、仕事などが二者択一や三者択一ではなく、メリハリある時間の使い方を学んで規律ある大人になってほしいというのが太郎君(仮名)に対する私の願いである。それによって、なれるべき最高の太郎君になる義務が太郎君にあると思うのだ。