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我が正義

小泉さんと亀井さん、それに藤井さんと高村さんの違いって何だろう?

経済人として、日本人として、9/20に決まる自民党総裁選挙がどうなるか大いに注目している。

あるニュース番組を見ていたらキャスターが次のように述べていた。「各候補者や議員が、お互いの票数集めとポスト無心に躍起になるばかりで、肝心のところの各候補者の政策の違いが全然分からない。」

だが、四候補者の主張と政策の違いはこのサイトできれいに整理されている。

http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/sosaisen/shucho0911.html
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/sosaisen/seisaku0908.html

実は、このように主張と政策の違いは明確なのだ。だが、私はこのサイトよくよく見ても、やっぱり違いが分からない。それはなぜだろう。


国民として知りたいのは、日本という国の運営基本方針である。それを受けて政策が問われるわけだ。まずは、未来に向けてどのような国にしたいのかという理念や思想を中学生で理解できる単語を用いて、200文字以内で述べてもらいたいものだ。

公明党の神崎代表は、「個人攻撃でなく政策論争を」と主張しているが、そうではない。こうした機会に大切な論争は、政治家としての「我が正義」を語ることだと思う。

『世に棲む日日』において司馬遼太郎はこう語る。

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思想とはその思想なりの正義を精密に論理化したものだと思うが、本来、正義ということから考えれば、日本人の社会に正義がやかましく成立するのは、ようやく幕末になってからではないか。(中略)それ以前に純粋に思想的正義が存在したと思うのは多分に錯覚であろうと思える。関ヶ原でもそうであった。諸大名を両派に分け隔てしたのは、打算となりゆきと多少の党派的感情である。
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“誰が正しいか”ではなく、“何が正しいのか”を語りあってもらいたい。それが「正義を語る」という意味だ。

国家のリーダーは、政策ではなく、まず正義を語ろう。日本という国が、世界の中にあって、どのようにして存在価値をもとうとしているのか。また、日本という国が、国民生活を豊かにするためにどのような役割を担いたいのか。国民に訴えかけるべきは、まずその点にある。

企業のリーダーたる経営者もその役割は同じはず。将来の企業目標や夢ではなく、「我が正義」を語ろう。我社が存在し、成長することの必要性や意義を語るのだ。それが語れない限り、関ヶ原の諸大名と同じく、打算となりゆきに身を任せた経営に成り下がる。

思い浮かばなければ、今からでも遅くない。考えよう。「我が正義」を真剣に作ろう。