昨日、阪神タイガースが18年ぶりに優勝した。すなおにおめでとうと申し上げたい。
この一年の阪神の強さには誰もが脱帽だろう。私は、阪神優勝というこの結果には、当然ながら原因があると思う。いや、伏線とでも言うべきか。
それは、昨年(2002年)9月24日のこと。スワローズが負け、マジックがゼロとなって巨人のセリーグ優勝が決まった。だがその瞬間、巨人選手は甲子園で阪神と死闘をくり広げていた。優勝が決まった、と巨人ベンチに知らせが入るが、原監督以下、誰ひとり笑顔がない。「勝って胴上げするんだ」との思いが全員にあったのだろう。
だが目の前の敵は“闘将”星野・阪神タイガースだ。「オレ達の本拠地・甲子園で勝って優勝させるようなマネだけはさせない。」という男の意地がそこにあった。
「勝って喜びを爆発させたい」という巨人選手の気持ちと、「そうはさせない」という意地の張り合いで、とうとう延長12回、阪神のサヨナラ勝ちという幕切れで終止符を打った。
サヨナラ負けを喫して優勝し、胴上げしたチームは歴史上存在しない。
つまり最後の男の意地を星野・阪神は見せつけた。そして、星野はテレビの取材に答えてこう語った。
「この悔し涙を、来年はぜったいにうれし涙に変えてみせます」。
「成功したければ失敗しろ」とヒルティ(スイスの哲学者)は語る。
『幸福論』の一節より。
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人生における真の成功、すなわち最高の人間完成と真実の有益な行動の到達には、いくたびの外面的な不成功が属していることは、必然的とさえいっていい。(中略)いや、われわれはさらに一歩を進めてこう言うことができる。事柄そのものが大きな意義のあるものであるならば、最大の成功の秘訣は、不成功にある、と。長いこと全国民に追想されているような人々は、決して成功によってそのような偉大な人生目標に到達したのではない。シーザーやナポレオンは、ブルータスやウォーターローの戦いや、セントヘレナ島がなかったならば、歴史上たんに暴君として残るであろう。
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18年の敗戦の歴史があるゆえ、今の歓喜がある。昨年の屈辱と悔し涙があるゆえ、今年のうれし涙がある。
ヒルティは、「外面的不成功」という単語を使った。負けるとか、失敗するというのは、あくまで「外面的不成功」にすぎない。怖がってなにもしないという「内面的不成功」とは一線を画すべきだ。
むしろ「外面的不成功」は成功の秘訣である、とまでヒルティは語る。
私たちのビジネスや人生も同様ではなかろうか。何かの最終ゴールにたどり着くことが成功なのではなく、積極的に「外面的な不成功」を買って出ることが成功の秘訣であると考え、行動しよう。