仏教教典のひとつ「雑宝蔵経」(ぞうほうぞうきょう)にこんな寓話がある。
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ある男が墓場の近くに住んでいた。ある夜、墓場の中から、しきりに自分を呼ぶ声がする。男はそれを聞いておそれ、ふるえあがった。
夜が明けてから、男が友人たちにその話をしたところ、勇気ある友がその元をつきとめようと言った。次の夜も、墓場から男を呼ぶ声がした。呼ばれた男はおびえて震えていたが、勇気ある友は声の主を求めて墓場に入り、声のする方に向かって「おまえはだれか?」と聞いた。
すると、土の中から声がして、
「私は、地の中に隠されている宝である。私は、あの男に宝を与えようと思ったが、彼は恐れて来ない。おまえは勇気があるから私を取るにふさわしい。あすの朝、わたしは七人の従者とともにおまえの家に行くであろう」と言った。
そして勇気ある友は、地面の声に従って家で待っていると、莫大な黄金を手に入れることができた。
それを聞いた別の欲深い友人は、一人で墓場に行き、地面に向かって「私も待っている」と告げた。すると、その男は家で待っているところを捕らえられてしまった。
最初の臆病な男も、妙な欲を起こした。
「もともとあの声は自分を呼んでいたのだから、あの財宝は自分のものだ」と言いはり、勇気ある友の家へ上がって財宝が入った壺を取ろうとした。すると壺の中から蛇がいっぱい出てきて首をもたげてその男にこう言った。
「世の中のことは何ごともこのとおりであって、愚かな者はただその果報だけを望むが、それはそれだけで得られるものではない。ちょうどそれは、うわべだけ戒(いましめ)を保っていても、心の中にまことの信心がなければ決して真の安らぎは得られないのと同じである」と。
(雑宝蔵経) 文責:武沢
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このエピソードをどのように解釈するかはあなた次第である。社員や仲間と議論してみよう。