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100周年を終えて

日本は人だけでなく、企業の寿命も世界一。

日本経済新聞の 2008年特集「200年企業」によれば、創業 200年以上の企業がどれだけあるかを国別でみた結果、日本が堂々の世界第一位であった。

<200年以上の歴史がある企業数>
一位:日本(3,113社)
二位:ドイツ(1,500社超)
三位:フランス(300社超)

日本は人も企業も長寿。これは誇るべきことだろう。

日本には会社が 250万社あるといわれるので、そのうち 200年企業の数が 3,113社ということは、全体のわずか 0.12%である。

では、100年企業はどれくらいあるのだろう。帝国データバンクのデータによれば、100年以上の社歴をもつ企業は日本国内に約 2万社あるとされる。これは、企業全体の 0.8%となる。

一昨日、各地が雪や雨で荒れた成人の日に、私は愛知県にある 100年企業の式典に招かれて記念講演をさせていただいた。社名は株式会社竹藤商店さんで、昨年、見事百周年に到達された会社である。社長は秦野利基(はたの としき)さん、48才。

同社は大正元年に現社長の曾祖父が竹屋として起業した。愛知県郊外の竹林の品質の高さに目をつけた創業者は、それを荷車で名古屋まで売りに歩く仕事を始めた。社業が発展し、建設会社や造園会社向けの卸売り業者として、折りしもの建築ラッシュで竹藤商店の竹は飛ぶように売れた。

竹藤商店という社名は竹が主力製品だった名残だが、いまでは造園に関する資材なら何でも取り扱う総合卸売り会社である。

現在の主力アイテムは石材で、輸入国は中国、台湾、フィリピン、インドネシア、 インド、オーストラリア、イギリス、ドイツ、イタリア、ブラジルなど世界に広がってきた。
石材以外では、竹材、間伐材、レンガ、コンクリート製品、緑化資材、薬剤、機材、公共工事資材、モニュメントなど、文字通りの造園アイテムのすべてが揃う。
主な客先は全国の造園資材卸売業者、造園業者、エクステリア業者、土木建設業者となっている。

そんな竹藤商店の秦野利基社長は、滝高校から名古屋大学へ進んだ。典型的なエリートコースである。大学在学中は農薬化学の研究に明け暮れ、大学院に進んで農学研科の博士課程前期まで修了している。たしか、以前に伺ったお話によれば、当時は学者になることしか考えていなかったと記憶している。

研究に明け暮れていた秦野青年が、造園資材卸の竹藤商店を継ぐことになるとは当の本人も予想できなかっただろう。引き継いでみて、会社経営の大変さに直面した。とにかく 10数名の部下たちと一緒に汗を流して働き、夜は経営の勉強をした。経営者団体にも所属し、経営者仲間も増えていった。

やがて会社経営の魅力に気づくと、今度は一転して自ら経営者団体の世話役、幹事役を買ってでるようになり、周囲から一目置かれるリーダー的な存在になった。
そのころである。
武沢が主宰する経営講座と出会い、それに通って経営理念の成文化と経営計画書をまとめあげた。

「竹藤商店はすごい会社だ」ということを心底知ったのは講座の財務分析の時間だった。出席者 20数名中、どの財務指標も秦野の会社が群を抜いて好成績だったのだ。

記念式典で秦野は持ち前の低音ボイスでこう挨拶した。

「振りかえれば、幾多の困難があり、それを乗り越えて今、100周年を迎えることができたのは、ひとえにご縁をいただいた皆様からの数多くのご厚情のおかげであると存じます。深く、感謝申し上げます。私たちの経営理念『引き継がれる伝統文化 時代を超える創造性 私たちは、すべての造園家のこだわりに、たゆまぬ努力と信頼でおこたえし、人と自然が響和する豊かな社会の実現に貢献します』を胸に、社員一同、一層の精進を重ねて参りたいと存じます」万雷の拍手が起きた。外の冷たい雨とは裏腹に、会場は熱くヒートアップした。

式典には小牧市市長や商工会議所会頭、造園業組合幹部などの来賓をはじめ、200名の竹藤商店ファンが集まった。手作り感ただよう、いかにも不慣れな設営ではあったものの、スタッフひとりひとりの心づかいが充分に伝わってくる素晴らしい式典だった。

私も無事に大役を果たして、その日はグッスリ眠った。翌朝目覚めると早くも秦野社長からメールが届いていた。

「自宅から会社まで 10分程度の徒歩通勤ですが、今朝は、いつもと違った朝を迎えような気がしました。過去のことは十分に振り返った、これから、社員皆と新たに創業していこう!っていう思いを強くした次第です」とあった。

余韻に浸る気持ちを早くも切りかえて、このイベントを竹藤商店自体の節目とし、今後も青竹のように成長していく会社作りを私に宣言しておられるようだった。

★株式会社竹藤商店  http://www.zouenshizaikan.jp/