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太郎とピカソ

「やぁ武沢さん、どうもどうも」とまず握手。帰り際も、「じゃあ武沢さん、また次回」と握手してわかれる。東京はほかの街にくらべて外国人比率が高いせいか、握手する割合が他の街より高いような気がする。

……僕は仕事で人と握手したことは一度もありません……というメールが地方都市の建設会社の社長から送られてきた。40歳ぐらいの方だが、それもひとつの実態である。

さて昨日のつづき。
昭和 27年 11月、岡本太郎(そのとき 41)は第二のふるさとパリに向かった。12年ぶりのフランス訪問であり、そのときは半年滞在する予定だった。見送りの記者からヨーロッパでは何を得るつもりなのかと聞かれ、太郎は「こちらから与えに行く」と答えている。

南仏のアトリエにいたピカソ(このとき 71)に再会した太郎は、年を取ったピカソが「かえって若々しくなったようにみえた」という。

少し話は脱線するが、感性の高い人は好き嫌いが激しい、というのが私(武沢)の持論である。人の好き嫌い、食べ物の好き嫌い、旅先の好き嫌い、色の好き嫌い、映画の好き嫌い、とにかくはっきりしている。周囲は戸惑うことが多く、ときには「ワガママ言うな」と腹も立つが、本人は真剣なのだからしようがない。

さて、ピカソは仕事をしているとき以外は寂しがり屋でいつも人に会っていたという。それでいて人の好き嫌いが激しいボヘミアンでもあった。太郎とはウマがあうようでこのときも滅多に人を招かないアトリエを案内してまわった。当時、ピカソは日本の墨絵に凝っていて、皿に墨絵を書いてみせ、その仕上げに判読不明の日本語を書いたという。太郎の前でしか見せない茶目っ気だったのだろう。

アトリエの脇に、ピカソにしては画風の異なる絵があったので「それはなにか」と聞くと、小さな子どもたちから絵を頼まれたのだという。「もし子供があなたの絵を気に入らなかったらどうする?」と太郎が聞くと、「そしたら描き直すんだよ」と当然のように答えたという。

ピカソは写真嫌いでもあった。めったに被写体におさまりたがらないのだが、この日は太郎が同行したカメラマンに何枚も何枚も写真を撮らせている。

別れ際、ピカソの方から太郎の手を握ってきた。太郎もしっかり握り
返した。

太郎の表現をそのまま借りれば、「ピカソの手は小さかったが柔らかくて恐ろしいほど弾力があり、その感触が心臓に伝わり、不思議な感動を呼び覚ました」という。

握手の印象を文章に記録したくなるような握手をいままで何回してきただろか。

★参考『岡本太郎の遊ぶ心』(岡本敏子 講談社)
http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3705