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続・あなたは何の信者か

部下から尊敬されている社長は、勝手に部下がその話し方をまねる。
従って、社長が電話に出ているのか、部下が出ているのかわからないことがある。
だが、尊敬されていない社長か、極端に個性的な社長の場合、部下の誰もが似ていない。不思議だがこうしたことは何度も経験した。

「なぜだろう」と考えはじめると、いくつも思い当たる理由が出てくる。脳が勝手にその理由を考えだしてくれるのだ。

これが意識というものだ。
意識の始まりは、本能ではなく、選択なのだ。

もし社長と部下の電話が似ている、などの経験をしたことがなければ、だれもその理由など考えない。従って、似ているという理由が見つかるわけもない。

つまり最初の結論がここに導き出される。それは、人は『信じたものを見る』という結論だ。社長と部下が似ている、と信じたから理由が後から見つかる。

二つめの結論、それは未知のところに旅立つ航海の船長は、まず始めに成功を信じることが出来なければならない、ということである。

『見ないと信じない』、『見たから信じる』、というタイプの人では組織のリーダーは全うできると思えない。『信じたものを見る』のだ。

人はかならず何かを信じて生きている。何も信じていない人はいない。意識しているか、いないかの違いはあっても、必ず何らかの自説や先入観、偏見、こだわりなどをもっている。そうしたものを総称して「意識」と呼ぼう。「心構え」といっても差し支えあるまい。

こうした「意識」や「心構え」は金型とおなじように、どんな金属を流し込んでもまったく同じ型に仕上がる。
例えばピストンの型ならピストンに、シリンダーならシリンダーに。
経営者の「意識」「心構え」も大別すれば、
・会社がうまくいく
・会社がうまくいかない

いずれかの型をもっている。

禅の大家・鈴木大拙師は、「意識は記憶から成立する」と指摘しているが、その記憶なるものは、経験に追うところが大きい。しかもその経験は、あなたの個人的体験が最も大きな影響をもち、ついで、他人の経験から学ぶ学習であろう。

プロジェクトχをみて、なるほどセコムはスゴイ、飯田さんはスゴイ、お会いしてみたい、などと感心しているのが凡人。それはミーハーの話であって、他人の経験から学んでいるとは言わない。
学ぶ人とは、セコムが『安心は金になる』ことを証明したならば、安心にかわる何かを考えるような人だ。

もう一度言う。見たものを信じるのでなく、信じたものをみるのだ。今信じていることを必ず見るときがくる。

勝負は、今なにを信じているか、その中味だ!それはあなたにしか決められない。