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三教指帰(さんぎょうしいき)

子供のころ遣隋使(けんずいし)、遣唐使(けんとうし)という言葉を習ったが、そのころはあまり興味がなかったのでほとんど聞き流していたように思う。

遣隋使(けんずいし)とは、推古朝の倭国が隋に派遣した使いの人々をいう。600年(推古 8年)~ 618年(推古 26年)の 18年間に 5回以上派遣されている。また、遣唐使(けんとうし)は、国家としての日本が唐に派遣した使節団である。619年に隋が滅び唐が建ったので、それまでの遣隋使からこの名称に変更された。

空海が遣唐使の一員として中国に渡ったのは彼が 30歳の時である。当時、中国では三教(儒教、道教、仏教)が盛んで、空海も若いころどの宗教がもっとも奥深いのか懸命に学び、調べている。その結果、彼なりにいきついた結論は、仏教こそもっとも優れているというもので、その理由を彼の著書『三教指帰』(さんぎょうしいき)の中で述べているのだ。これは空海による宗教的寓意小説(戯曲)で、彼自身の出家宣言書ともいわれている。

『三教指帰』の内容はこうだ。

博打や酒色のかぎりを尽くし、勉学にはいたって怠惰な若者を改心させるために儒教・道教・仏教を教える三人の師が登場する。最初に登場したのは儒教を教える亀毛先生だ。豊富な古典知識をバックに雄弁の才をふるって若者にこう諭した。

「儒教の教典を読み、書を習い、親孝行に努め、戦術を習い、農業に励んで慎み深く暮らしていれば名声を得、立身出世は思いのままであろう」

次に、道教を教える虚亡隠士があらわれ、こう述べた。

「秦の始皇帝や漢の武帝は長寿不死を求めたが、一方では肉欲にふけり、女を近づけていたのは誤りであった。唾液も精液も出すな。貪欲をはなれよ、つつしめ、美食をするな。孝であれ、仁慈をもて。女にふけるな。禄を貪るな。断つべきものは五穀、五辛、酒、肉、婦女、歌舞、はげしい喜怒哀楽。大切なのは道教が教えるいろいろな薬品、食餌による養生である。そうすれば若返り、命を延ばし、また水上を歩み、鬼神を使い、天空にのぼる。命は天地日月のように長くなる」

虚亡隠士がこれだけを説くと、若者は道教が儒教よりすぐれることを理解した。

最後に風采のあがらない仏教の仮名乞児があらわれた。彼は、諸行は無常であることを感動させるような美しいことばで説いた。そして、「いずれこの世もすべて滅びる。人間の身体ははかなく空しい。四苦八苦によって心はいつもなにかに悩まされる。煩悩はいつも盛んである。だが、美女の美しい眉や白い歯もやがて落ち、花のような眼や耳はいつかつぶれ、赤い唇やきれいな瞼は鳥についばまれる。黒髪や白い手は腐敗し、九孔から臭液が流れ出る。愛すべき妻子もはかなく消え、立派な衣も長く愛するに足らない。宏大な建築も久しく続かない。墓場こそ人間が久しく止まる場所である。無常の風は神仙を論ぜず、貴賎を問わない。誰も死を免れることはできない」と説いた。

こうした話を聞かされて若者は腹わたを焼かれるような悲しく痛ましい気持になり、悶絶した。

仮名乞児はこう続けた。「だからこそ覚りを求める心(菩提心)を起し、最上の果報を仰がねばならない。六波羅蜜を筏とし、八正道の舟にのって愛欲の海をわたり、七覚支の馬にまたがり、四念処の車にのって迷いの世界を越えねばならない。そうすれば、十地の菩薩が修行する長い道も僅かの時間で経つくし、無限に長い劫も究めることは難しくない。そうして煩悩を転じて菩提を得ることができる」

若者はその引率者に「われわれは久しく瓦礫のような教えを信じていたが、今あなたの慈悲深い教えによって私の道が浅膚であったこと知った」と語る。そして、「心に決めて孔子を求め、思いを馳せて老子をさがした。しかし二つはどちらもこの世のことばかり。まさに今こそブッダの教え、悟りの境地はすべてに通ずる。自己のためだけでなく他人をも救済し、鳥やけものにいたるまで忘れない」と若者は改心した、というストーリーである。

これぞ他ならぬ24歳・空海の仏教宣言であった。

★三教指帰
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