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胸のうちにあるもの

武将:「徳川につくのか豊臣につくのか、どっちなのだ!」
重臣:「そのことは殿の腹ひとつ」
武将:「このごに及んでまだそんなことを。重臣としてそなたはどのように判断しているのだ」
重臣:「いや全くわからぬ、すべては殿の胸のうちにある」
武将:「う~む・・・・・・」

殿の腹ひとつ、あるいは胸のうちにある考え、それが判らぬ部下の苛立ちと焦燥感は推して知るべし。これは歴史物語の一場面だけではなく、現代における経営でもありうる。昨日のマガジン『社長の限界? 異議あり』に対して、若手経営者から複数の反論メールを頂いている。その中の一通は、この武将のような苛立ちを訴えているかのようだ。まずはそのご紹介を。

(前略) 広島県 製造業 後継予定者 T氏 30才

今日の先生のメールマガジンの内容(『社長の限界? 異議あり』)を見せていただき、2世後継者としての意見を言わせていただきたいと思いメールを送らせていただいています。私の焦点にしたいのは、「40代までが旬」ということではありません。先生は執筆の中で「第一、非上場企業では、すんなりとバトンタッチできるほど後釜が育っていないではないか。」とありますが、その部分です。先生が現経営者であるように、私は一後継者としての側面でしか見れませんが、この「後釜が育っていない」という部分が経営者の責任として捉えられていないのではないかという印象を受けます。私を初めとして(血縁関係かどうかは問題ではありません)後継者を選択し、そのための準備を何年か計画でおこない、「3年後に世代交代をするために、今はこうゆう業務に置くべきだ。」という具体的な後継者教育をされている経営者の方がどのくらいいらっしゃるのでしょうか?私がいま一番不安に感じるのは、先代の目に見える真似の出来ないテクニック-たとえばネゴシエーション-ではなく、社長がどうゆう状況で私にバトンタッチするつもりなのか、それまでがどれだけの時間が残されているのか?そうゆうことがはっきりしていないことです。私は自分自身の自己啓発に対するレスポンシビリティは理解しているつもりですが、それとは別に企業としての計画的な経営者選び(育成)が必要ではないでしょうか?

(中略)(後略)

昨日の原稿、「第一、非上場企業では、すんなりとバトンタッチできるほど後釜が育っていないではないか。」

という部分に対してパクリと噛みつかれた格好だが、Tさんの指摘も当たっている。後釜が育っていないのは誰のせいなんだ、という所が本当の問題なのだろう。昔から経営者には、人事に関することは最後の最後まで秘密にしておくべきだというような暗黙知がある。果たしてそれで大丈夫なのか。

後継者育成というような長期的取組テーマの場合、本人はもちろん場合によっては周囲にも公表してバトンタッチを行う必要がある。もし、後継者をA君にすべきかB君にすべきか迷っているのなら、それすらも公表して選抜方式にするのだ。

有名なところでは、米国GE社の会長職選抜は6年をかけて23人のなかから今のジェフ氏が選ばれている。

その候補者23人の年齢は36才から58才の間だったという。まず年齢ありきの選考ではないことがうかがわれる。選考基準は、業績、指導力、性格などを家族ぐるみの交際の中から判定してゆくもので、最後の最後まで残った3人は、まったく優劣のつけがたいGE最高の財産だったそうである。

そして、残された3人に対して前・会長のウエルチ氏は驚くべき発表をしたのだ。最後の最後まで残ったうちの二人は落選し、落胆する。落胆した状態で本当に新会長を心からバックアップできるのだろうか、という疑問だ。そこでウエルチ氏は3人にこう告げた。「上がるか出るかの岐路だ。」

会長になれなければ退社してもらう、という宣告である。そして落選した二人の人物は、10日後には3Mとホーム・デポのCEO職にスカウトされて転職していったという。

【参考記事】 ジャックウエルチ 【私の履歴書】
http://www.nikkei.co.jp/hensei/welch/20011029eimi189929.html

今日の本題はなにか
そう、社長の胸のうちにある人事構想、とくに後継者指名に関する構想は、そのまま胸のうちにしまっておいてはいけない、ということだ。

なぜならば、何も進まないからだ。膨大な時間の浪費を招くのである。後継者指名に関する構想をいち早くオープンにすべきであるというのが、今日のメッセージである。それは、特定個人名を早く公表してしまえ、ということではない。最後の最後まで競争原理が働くような工夫が大切だ。また同族経営など、後継者が世襲に近い場合も基本は同じだ。競争原理は働かないが、それ以外のところはすべて同じである。

そんな考えの深まりを与えてくれた広島のTさんに感謝したい。

本当に後釜が一人もいない、という場合もある。それは別の機会に考えよう。