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読書考

いやぁ、ビックリしました。読書は有害なのでは?という質問(意見)メールに対して、皆さんから寄せられたメールが30通を突破しています。ほんの一部ピックアップさせていただきました。

なぜ別物と考える? (東京都 味田さん)

「行動すること」と「読書」が、そもそも別物と言う考えが「間違い」では無いでしょうか。私は、それらが一貫した流れであると考えます。書物から、セミナーから、メルマガから得た知識や情報を「実践する」こと、自分の「行動に活かすこと」が、その本来の意味だと私は思います。
「勉強(読書)」する意味は、現在の自分のただただ闇雲な「行動」をさらに効果的なもの・生産的なものにする事では。

フェイズがあるのではないでしょうか。(四日市市藤島さん)

1.目標を定める。(行動)
2.目標達成のための情報を得る。(読書または行動)
3.目標達成のために実践する。(行動)
4.行動結果を評価し、改善するための情報を得る。(読書または行動)ただし、この問を出してくれた方のおっしゃられる場合のような、そもそも3に進まないのは、いずれにせよ論外でしょう。

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
(熊本県 熊井さんhttp://www.sakana94.com)

「本=マニュアル(ルールブック)」ということではなく、読書によって、本を書かれた方(作家もしくは主人公)の生き様・歴史を堪能し、「さて翻ってみれば我が人生は如何?・・」などと考える、この考える事が大事だと思っています。

知識を持って行動すれば効果的(那田さん)

「情報」と「知識」の境界が曖昧になっているのではないでしょうか。「情報」は、単に所有しているだけで、それだけではさほど価値はありません。「知識」はインプットした「情報」を自らの頭で考え、アウトプットできるものに変化し、自分のものとして存在している状態と考えています。インプットした情報を、自分の中で消化し、ときには実践し、自分の知識に変換する工程が必要だと思います。本を読む上でも、情報として持っていればよいもの、知識への変換が必要なものどちらかを見極めることが必要だと思います。行動することは重要です。でも、知識を持ったうえで行動するとより効果的ではないでしょうか。

なぜ「五輪の書」が・・・(米国在住井口さん)

考えるための読書をします。読んだ事で何かを考えると言う事です。アメリカで一時ビジネスマンの必読図書となった、宮本武蔵の五輪の書も、読んでみて分かるように,書いてある事がかなり漠然としており,手をつないで詳しい事を教えてくれないために(笑),考え込まざるをえないから,必読書になったわけです。日本で必読書にならなかった理由でもあるわけです。

餃子の王将の社長の話(東京都 弓さん)

「他人に教えを請うと、聞きたい話の前後の時間もかかる。また、その方との関係に縛られることがでてくる。本であれば、他人の知識や経験を自分のペースで吸収できる」といった内容のことを、かなり以前ですが雑誌か新聞でお話しされていました。

わかるなあ、25才の彼(北海道 高橋さん)

私は彼の父親のような世代ですが、若きウエルテルの悩みのように、思春期の頃は私も悩みが尽きませんでした。仕事もプライベートも何もかもが悩みの対象だったように思います。そんなとき、狂ったように本を読んだものです。中途半端にならずに、行動も読書も狂ったようにやれば、それで良いのではないですか。

「本を読んでも、行動できる人間になればいい。」(黒川さん)

そもそも愚問である(広島県桐山さん)

読書をしていると行動が鈍る、というような質問内容ですが、それは、ご飯を食べると太る、というのと同じくらいに愚かしい問いです。
本を読む時間があれば営業に回れ、読書するくらいなら素振りせよ、というのは中長期的視点をまったく欠いた思慮の浅いリーダーの発言。
そもそも、なぜ読書すると頭でっかちになって行動できなくなるのかが分からない。私の回りの行動派人間はすべて読書人であると断言したい。
きっと質問者の回りの読書人という方は、行動から逃避するために読書しているに過ぎぬのではないでしょうか。そんなタイプの人から読書を取り上げたところで、他の逃避対象に替わるだけのこと。それは読書が悪いのではなく本人の問題。

その他、多数のご意見ありがとうございました。読書が有害であるとされる方はお一人もいませんでした。読書に対する本人のスタンスが極めて重要だとのご指摘が多かったように思います。

武沢の意見を言え?

申し上げるつもりだったことを言われてしまったので、ちょっとひねって明日お届けします。本当にひねってありますよ、明日は。