自己変革

「奇抜さ」を加える

●コンサルティング経験豊富な先輩に「最近、ショート動画を毎日配信しています」と
お話ししたところ、「奇抜ですなぁ、武沢先生」と言われ、妙にうれしかった。

●なんと新鮮なリアクションなのだろう。そもそも「奇抜」という表現を聞くことが
久しぶりである。

「奇」(き):普通ではなく、珍しいことを意味する漢字。異常や
       異さを示す意味合いがある。

「抜」(ばつ、ぬく):抜く、抜けるという動詞から派生し、他の
       のから突き抜けている、差別化しているといった意味
       を持つ。

●このように、奇抜という言葉は、普通とは異なり斬新である。
とは一線を画す特異さがあるといったときに用いられるわけだ。
信長が若いころ、奇妙ないでたちをして歩き回り、型破りな行動をしてお世話役を
困らせたのも「奇抜」を狙ったものだし、歌舞伎踊りを始めた出雲の阿国も
「奇抜」さで成り上がっていった。

●小説家にも奇抜さが必要だ。猫に人間の言葉を語らせたのが漱石の「吾輩は猫である」。
“名前はまだない” 猫が、主人の珍野苦沙弥(ちんの くしゃみ)や書生たちの生態を
面白おかしく描写した作品である。当初は文庫サイズ20ページ程度の短編で終わる
はずだったが、初回が好評だったためシリーズ化した。ついには文庫で540ページを
超える長編小説になったわけだが、これなども「奇抜」の勝利だ。

●漱石に触発された三島由紀夫は中学生のとき『我はいは蟻である』を書いている。
生まれたばかりの働き蟻が主人公。初めて見る陽光の眩しさや人間の皮膚はすべすべして
白く、人間の住む家はあまりに大きくて、主人公の視野にはおさまらない。
それから、重いビスケットを運んだり、敵対する蟻の存在を老いた蟻に教わったりして、
自分の家に帰るというストーリーである。

●そんな三島が好んだ芸術家が俵屋宗達だった。その理由は「奇抜」さであった。
宗達の代表作『風神雷神図』は見る人をハッとさせるが、それを絶賛した三島も奇抜が
好きだった。

★風神・雷神図 (出光美術館)
 http://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/rimpa/04.php

●あなたが今やろうと思っていることに「奇抜さ」を加えてみよう