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「葉隠」と岡田監督の「アレ」

「葉隠」と岡田監督の「アレ」

●まず三島由紀夫の『葉隠入門』より引用してみたい。

「『葉隠』は、日本の古典文学の中で唯一の理論的な恋愛論を展開した本といえるであろう。『葉隠』の恋愛は忍恋(しのぶこい)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんとうの恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もっともたけの高い恋であると断言している。
(中略)
心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬという経過を何度もくり返していると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目に見えている。若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでいるのは、この点であるといっていい」

●男女の仲は「獲得か否か」なのではない。
決して打ち明けぬ「忍ぶ恋」がもっともたけが高いと『葉隠』は説く。
ある意味、恋愛は目標に似ている。「目標を口に出せば達成できる」といった教えを何度も見聞きしてきたが本当にそうなのか。

●目標を口にすることで、周囲の人が達成までの手助けをしてくれることもあるだろうし、人前で口にしてしまった以上、もう後には戻れないというプレッシャーを自分に与える効果もある。それが目標を口にしようという人たちの主張だ。

●だが『葉隠』に代表されるように真反対の考えもある。
最近ちょっとした話題になっているのが阪神タイガースの
監督・田彰布(おかだあきのぶ、65)氏である。
岡田監督が選手やメディアに対して「アレ」という言葉をさかんに言うのだ。

●「アレを目指す」「アレに貢献してほしい」「アレ講座を開いた」などで使われる、
「アレ」とはもちろん「優勝」である。
なぜ岡田監督は「優勝」ではなく「アレ」と言うのか。
まさか65歳という年齢のせいで「優勝」という単語が思い出せなくなったわけではない。

●「アレ」の真意は選手にプレッシャーをかけないためであり、自分自身も気負ってしまわないようにするためなのだという。
「優勝したい」「優勝する」「優勝しかない」と自分を追い込むのもひとつのやり方だが、「アレ」で通すのも立派な作戦だ。

●第一、「アレ」であれば何度でも平気で言える。しかも優勝を口外しているわけではないので、「忍ぶ恋」ならぬ「忍ぶ優勝」である
もっとも崇高な恋、崇高な目標になる。
ひょっとして「アレ」が今年の流行語大賞になるようなことが起きたら巨人ファンの私からみても厄介なことといえそうだ。