世界経済

金銭教育、投資教育はいつから

今日のYouTube新作

■ゲームが思い出させてくれた「どこで何をしても良い自由」

私は昔からゲームが好きで、今でも時間があるとゲームをします。
ゲームから非常に多くの学びがあります。
今やっているゲームは人間の自由さについて思い出させてくれました。 

金銭教育、投資教育はいつから

床屋の大将は意外にもパン食派で、「特にNの食パンがうまい」と力説するので私も昨日Nに行って買ってきた。
たしかにやわらかくてうまい。
焼かずにそのまま食べても柔らかくておいしくいただける。
ただ、パン食というものが飽きずに続けられるかどうかは未定だ。

西洋では当然、パンが主食だ。
「パンがたべられなきゃケーキを食べればよい」はフランスの王妃、マリー・アントワネットの言葉とされている。
主食のパンが食べられないほど国民が苦しんでいるのを聞いて、だったら 「Qu’ils mangent de la brioche !」(ブリオッシュを食べたら)と言ったのだそうだ。
ブリオッシュというのはバターや卵をふんだんに使ったぜいたくな菓子パンのこと。
いかに王族の感覚が庶民とかけ離れたものかを伝えるエピソードだが、実際はルソーの創作話のようだ。
王妃さまはとんでもない濡れ衣を着せられた可能性がある。

いずれにしろ、王室や貴族、日本では皇室や武士といった上流階級は庶民と異なる経済観念や金銭感覚をもっていた。
いや、むしろ経済や金銭とは無縁の生き方をしていたと言える。

新渡戸稲造の『武士道』にこんな箇所がある。
・・・
軍事教育に当然あるべきものとされていながら武士道の訓育に欠けているものに算術がある。
サムライの訓育全体から見て、数の観念を育てるということは都合が悪かったのである。
なぜなら武士道は損得勘定をとらない。
むしろ足らざることを誇りとする。
武士道にあっては、ヴェンティディウスがいったように「武士の徳とされている功名心は汚れをまとった利益よりも、むしろ損失を選ぶ」とさえいう。
ドン・キホーテは、黄金や領地よりも、彼の錆びついた槍や骨と皮ばかりのロバに誇りをもっている。
そしてわがサムライはこのラ・マンチャの誇大妄想にとりつかれた同志に満腔の敬意を払っている。
は金銭そのものを忌み嫌う。
金儲けや蓄財の術にたけることを嫌う。
(中略)
したがって武士の子弟は経済のことをまったく眼中に入れないように育てられた。
・・・

このあとさらに「武士道は無償、無報酬の実践のみを信じる」という方向に話が進んでいくわけだ。
武士は経済を学ばないどころかむしろ遠ざけた。
だからマリー・アントワネット的な経済音痴の事実があったとしても不思議ではない。

「三つ子の魂百まで」は、よくできた日本の格言だが、『おカネの天才の育て方』(ベス・コブリナー著)によると、子どもは3歳でお金を理解するという。
この本はアメリカで非常によく売れた本で、子どもの金銭教育は早いほうがよいと説いている。
7歳までに身につけた金銭的な習慣が、その後の人生に大きな影響を及ぼすということはケンブリッジ大学の研究で分かっている。
14歳くらいになると複利の概念まで理解するという。

さらにこの本はこう続く。
子どもに我慢することを覚えさせることが大切。
たとえば3歳の子どもがおもちゃを欲しがったら、「誕生日になるまでおもちゃを待とう」と提案する。
そして「誕生日には誰を呼ぶ?」などと話し合う。
誕生日が来たら、家族や友だちの前でお目当てのおもちゃを開封し、皆から祝ってもらう。親は「待ってて良かったね」と、待てたことを褒めて喜びをわかちあう。
そうすることでただ耐えるだけでなく、耐えたあとの幸せを教えることで未来を想像する力を育み、目先の誘惑に負けない心を養うのだそうだ。

日本もここにきて「1億総投資家」めざして投資をうながす政策にシフトする。
今春からは高校の授業に金銭や投資の教育が加わった。
そもそも日本人は武士を目ざしているわけではないのだから、いたずらに金銭を遠ざけるような教育は時代遅れだろう。
ただ、アメリカ的金銭教育が全面的に素晴らしいわけでもない。
「和魂洋才」という言葉があるが、武士道精神のすばらしいところを教えつつ、最先端の教育理論に則って他国の人材に見劣りしない堂々たる日本人を育てていく必要がある。
そのあたりの日本の教育政策には大人として目が離せない。


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