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間違った「社長塾」

Rewrite:2014年3月26日(水)

教育熱心は結構なことだが、いきすぎた「教え魔」は弊害が多い。

あるブティックでは、オーナー夫妻と10名程度の女学生アルバイトが働いている。ところが、いつもご主人の社長とアルバイト1名が隣の喫茶店にいる。なにをしているのか聞いてみると「個別指導」しているという。
ある時、私も同席した。すると、約束を守ることの大切さや、人の気持ちを重んじることの尊さ、親に感謝することが基本であること、などを語っておられた。お店がヒマになると誰か一人(時には二人)が呼ばれるそうで、「社長塾」とよばれていた。

「武沢さん、学生さんにとってうちで働いてもらうことになったのも何かの縁。私はそうした縁を大切にしたい。うちで働く期間は短いものの、彼女たちの将来を思うと、私の人生経験から得た知恵を伝えてあげたいのです。人間としての基本をね。それが必ず仕事に反映されますしね」

アルバイトに感想を聞くと「勉強になります」と言っていた。社長もまんざらでもなさそうだ。
だが、問題は別のところになる。この会社の業績が伸び悩んでいるのだ。店がヒマになるとアルバイトを喫茶店に誘って1時間以上にわたる「社長塾」とは衝動的な時間の使い方ではなかろうか。
部下は経営者を喜ばせるために存在するのではなく、良い仕事をするために必要なのである。こうした「指導」と称した説教や訓辞の多くは、経営者のエゴを満たすために行われる場合が少なくないのだ。

映画俳優にはすぐれた演技を要求すべきであって、愛想の良さや身だしなみの清潔さを要求するのではない。野球の選手には良いプレーを要求するのであって、時間を守ることや言葉づかいの美しさを要求するのではない。
すべての職業において、それを究める過程で人間的な成長が求められることは承知している。しかし「完全な人間」をめざした育成指導や部下評価は、社内に混乱をまねく。

「社長塾」自体はすばらしい試みだが、時間帯やメニューやはよく吟味し、計画的に行わねばならない。