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「ペプシチャレンジ」本当の狙い

「ペプシチャレンジ」本当の狙い

●先日、映画館の売店で「コカコーラのLサイズをひとつ」と注文したところ、若い女性スタッフが元気よく「コカコーラのLですね」と復唱してくれた。1分後、「コカコーラのLサイズです」と笑顔で手渡されたのは「ペプシコーラ」だった。上映時間が迫っていたので黙って受け取ったが、もう5分早かったら嫌みのひとつでも言っていたはずだ。
彼女にとっては、ペプシコーラもコカコーラも一緒なのだろう。

●コカコーラとペプシコーラのライバル対決の歴史は優に100年を超える。コカコーラが発明されたのは1886年。7年後の1893年にペプシコーラも誕生した。だが1970年ごろまでは世界市場を制圧していたのはコカコーラ。いわゆる「1強」状態がつづいた。2位以下には、ドクターペッパー、ペプシコーラ、セブンアップ、バブルアップ、アールシー、モキシー、ビッグレッド、コット、スカートなどのブランドが乱立していた。

●70年頃までのコカコーラ社は一強の誇りとおごりから、ライバルの存在を虫けら同然に思っていたフシがある。その証のひとつとして、コカコーラの社員は「他のコーラ会社」という言葉をつかってペプシやセブンアップといった他社のブランドを決して口にしなかったのである。

●そんな「1強」体制に風穴をあけたのがペプシだった。
1970年代に入って地方社員の発案で始まった「ペプシチャレンジ」がコークの牙城を崩しはじめた。
このキャンペーンは、普段コカコーラしか飲まない人に二種類のコーラを飲ませ、どちらが美味しいか選ばせるという街頭キャンペーンである。ヤラセなしのその光景をテレビCMでくり返し放映した。

●このブラインド(目隠し)テストはペプシ側に望外の好結果をもたらした。このキャンペーンを始めたときペプシは業界3位の座に甘んじていた。一位コーク、二位ドクターペッパー、三位がペプシだったのだ。ペプシ側にとってこのCMは、「業界二位は当社」「コークのライバルはペプシ」と消費者に思わせることにあった。

●だがブラインドテストの予期せぬ高評価にペプシ陣営は気をよくし、大々的な攻勢に打ってでる。マイケルジャクソンやマドンナを起用したCMキャンペーンを展開し、悲願のシェア逆転を狙ったのだ。

●「他のコーラ会社」とライバルをあなどっていたコカコーラ経営陣も追い込まれた。自社が行ったブラインドテストでもペプシを選ぶ人が多かったことから、創業以来一度も変えたことがなかったレシピに手を加えるという”暴挙”にでたのだった。

●その後の顛末は我々の多くが知っている。新しい味に変わったコカコーラの味があまりに不評で、わずか3ヶ月後には味を元に戻すという失態にいたる。世界ブランドのコカコーラが「その他大勢」と見限っていたライバルに足下をすくわれたのだ。

★参考:ドキュメント映画『COLAWARS コカ・コーラvs.ペプシ』
 → https://www.youtube.com/watch?v=XXGUuAJJezU

●海を渡った日本の映画館では、若いスタッフがペプシとコカコーラの違いも知らずにお客に提供している。それを知って本社の役員は何を思うだろうか。

●その後「ペプシチャレンジ」騒動もおさまった70年代後半、コーラ戦争に割って入る新しい炭酸飲料ブランドがアジアで誕生した。
タイの「グラティン・デーン」である。後に「レッドブル」と改名する。当時、コーラ戦争の当事者たちは誰一人その存在を知るよしもなかった。