ある青年会議所の経営者とお会いした。彼の自説を聞いたあと、私は反対した。
その自説とは、
「事業とは人育てであり、利益は二番目だと思います。なぜなら、松下幸之助氏のことば、『松下電器は何を作る会社かと問われたら、まず人を作る会社と答えていただきたい。しかる後に、電気製品も作る会社だと答えていただきたい』というのがある通りです。」という。
彼は松下幸之助氏の残した無数のことばの中から一つだけを取り出して金科玉条にしていて危険だ。
「組織の盛衰」PHP文庫:堺屋太一著 は私が折にふれて読み返す好著だが、その中に共同体と機能体についてのくだりがある。
それによれば、組織には共同体と機能体の2種類があり、本来はこの二つは構造も機能も目的も違う。よって、組織の管理運営にあたっては、この区別を明確に意識している必要がある、という。私なりに要約すれば次のようになる。
共同体という組織
家族、町内会、子供会、PTA、マンション管理組合、クラス会、趣味の会、異業種交流団体、など構成員の満足追求を目的と する組織。
良い共同体とは、構成員ひとりひとりの満足度や結束が高いこと。
人材評価の基準は、内的評価による人格が尊重される。
良いチームワークとは、お互いに助け合う状態にあること。
機能体という組織
軍隊、企業、プロスポーツチーム、など外的目的達成を目的とする組織。
良い機能体とは、本来の目的「戦争に勝つこと」や「利潤を追求する」ことに徹していることであり、構成員の満足度や結束は 手段に過ぎないと自覚していること。
人材評価の基準は、勝利や利潤という結果である。
良いチームワークとは、お互いの役割と責任を全うしあっていること。
共同体には「固さ」が求められ、機能体には「強さ」が求められる。組織が危機にさらされる病因は、この二つの種類の組織が混同されることにある。
プロ野球でも「温情采配」「非情采配」などの報道があるが、本来監督の采配は温情も非情もないはずだ。チームの外的目的を達成するために最適な采配があるだけだ。これを混同するとチームワークがかえっておかしくなる。
企業という組織も放置すれば共同体化する性格にある。とりわけ中小企業では、経営者の熱い性格がそのまま会社イコール運命共同体とみなしていくところに危険が潜んでいる。
企業の外的目的とは何か。それは市場や顧客を創造し、社会的富を増殖させつつ利潤を得ることである。社員を育てることや社員の幸せ追求を願うことはトップとして当然のことだが、それが組織の最終目的ではない。企業を「社員共同体」と化してはならない。あくまで企業は機能体であることが基本だ。
蛇足ながら「国家」という組織は共同体である。その共同体たる国家が、機能体として戦争という行為に参加しようとしたとき、話しがまるで異質になるところに今の政局の難しさがあるのではないか。