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お中元について思うこと

お中元について思うこと

●昔、中堅企業で働いていたとき夏と冬になるとお中元やお歳暮が連日届き、オフィスの一角に贈答品の山ができあがっていくのを何度もみた。
しかしある年を境に企業は「虚礼の廃止」を申し合わせた。
お互い、ギフトの送りあいはやめましょう。
来年以降はお贈りいただいても受け取りを拒否しますと宣告したのだ。
それ以来、職場にお中元やお歳暮が届くことはなくなった。
社員へのお裾分けの楽しみもそれ以後、途絶えた。

●ただ個人間でのギフトのやりとりは続いているようで、ソーシャルギフトという分野がこの4年で14倍に伸びたというデータもある
つまりメールやオンラインの仕組みを利用し、居ながらにして商品選びから発送までの手続きができてしまう。
もうデパートのギフトコーナーで長蛇の列に並ぶ必要はないのだ。(それでもピーク時のデパートには列ができているが)

●そうした中、知人のA氏が先月お中元に肉を贈ってくださった。
こうした贈り物に対しては手紙や葉書で謝意をつたえ、品物によるお返しは不要である。
だがA氏の心意気がうれしかった私は、翌週、魚の粕漬けで返礼した。
これは「中元返し」というよくあるワザだ。

●するとA氏にとって私の返礼がサプライズだったらしい。
なんとお盆休みの直前になって、今度は返礼の品に対する御礼の品が届いた。
つまり同じ相手から二度も中元を受け取ったことになる。
これは「中元の返礼返し」という難易度の高いワザである。
こんな凄いワザをかけられるのは私の長い人生でも初めてのことだった。

●「どうしよう?」と家内。またA氏からありがたい品をいただいたことの嬉しさのなかに、どこか困惑の表情がうかがえる。

「せっかく返礼返しをいただいたのだから、ここはひとつ返礼返し返しでいかないと」と私。
「へんれいかえしがえし、それ真剣に言ってる?」
「半分本気」

こうしたことが日本中で行われているわけではないはずだが、ギフト市場が好調らしい。
それはソーシャルギフトと名付けられた、テクノロジーとインフラのおかげでできた贈答マーケットである。

●今、企業間のお中元やお歳暮がどの程度おこなわれているのか知らないが、それが「虚礼」なら廃止すべきである。
虚礼ではなく心のこもった「御礼」なら廃止する必要はない。
心のこもったものならば特定の季節や特定の日付にこだわる必要すらないわけだが、誰かに決めてもらったほうが贈りやすいのは確かで、ソーシャルギフトはまだまだ伸びる余地がありそうだ。