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講師業、一流と二流と・・・

講師業、一流と二流と・・・

●コンサルデビュー当時の私は、「なめられたくない」「すごいと言わせたい」と力んでしまい、ひとりよがりなセミナーをやっていた
その結果、受講者の満足度は低かったと思う。
今思えば恥ずかしいかぎりだが、かといって今、すごく上達したとも思えない。
すくなくとも今は「すごいと思われたい」といった自意識はなくなった。
年齢のせいかもしれないし、経験を積んできたせいかもしれない。
満足していただくことがセミナーの目的であって、私をリスペクトしていただくことが目的ではないと気づいたのだ。
老獪になったのだろうか。

●昔からよくいわれることがある。
むずかしい話を分かりやすく話せる人が一流、むずかしい話をむずかしそうに話す人が二流、簡単な話をむずかしく話す人が三流、というものだ。

●一流をめざしてやってきたつもりだが、いまでも受講者の中にデキそうな人を見つけると気持ちがその人に向かう。
「この人になめられたくない」と気負って、結局はデビュー当時みたく気負いすぎてしまう。

●そんなとき、私は講義の焦点を素早く他の人に切りかえる。
その時点で知識や情報量が一番すくない人を相手にするのだ。
そうすれば一人も落ちこぼれがいなくなり、全員が満足する。
中上級者からみれば、自分が知っていることばかりを講師が話したとしても、その中にひとつでも興味深いエピソードが混じっていればそれで満足度が上がる。
それが幾つもあれば幸せな気分になれるはずだ。

●人は自分が知らないことを知りたいだけではない。
知っていることでもそれに新たな意味を発見したり、他人にそれをどう説明するかにも興味がある。
そうした欲求を満たすことができれば、中上級者だって満足する。
昔の私は中上級者の知らないことを言ってやろうと専門用語を連発し、受講者全員を煙に巻いて悦に入っていた。

●時々、つまらなさそうな顔をして無言のままでいる中上級者がいる。
その人は自尊心が満たされていないのかもしれない。
そんな時は「こういう場合○○さんはどうされていますか?」などと発言してもらう。
傍聴者から参加者に変わる。

●むずかしい話を分かりやすく話そうと心がけてきたが、最近になってそれだけではまだ足りないと思うようになった。
一流では物足りないのだ。
超一流をめざして、むずかしい話でもおもしろおかしく話して、笑顔にさせ、できれば一回や二回は笑わせたいと思うようになった。
物の講師でないと、そこまでの心の余裕はもてないはずだ。

●そういう点で現在活躍中の論客を評価すれば、池上彰氏は一流の講師といえる。
だが超一流かというと疑問だ。むしろお笑いタレントや予備校の先生たちがバラエティで解説している授業の姿が超一流なのではないかと思う。
あれをビジネスの分野でやれば行列ができる講座になるのは間違いない。

●私はコンサルティング活動の一環として講師業にも取り組んできた。
だが講師業は本来、これ一本に打ち込むべき求道者の仕事であると思っている。