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私の書棚はぜんぶ未読

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私の書棚はぜんぶ未読

●人間の記憶とはあいまいなもので、事実とは異なることでも自分の記憶の方が正しいと思えるときがある。
毎年大みそかになると実家に帰省する。
恒例のすき焼きが楽しみだ
すると今年にかぎって母が「すき焼きは大晦日じゃなくて元日だよ」と言い張る。
そんなはずはないよ。
元日はカニを食べることになっているから、すき焼きにするのは大晦日なんだよ、とキレ気味の私。

●毎年こんなやりとりがあるので家内がスマホで証拠写真を残しておいた。
結局間違っていたのは私だった。
それでも私は「この写真がおかしい。日付を加工しただろう」と言い張る始末。
本人にとっては客観的な事実よりも自分の記憶の方が正しいのだ。

●このように記憶が怪しいということは、学習だって相当怪しい。

先日「Zoomを教えてくれ」と友人が訪ねてきたのでみっちり1時間ほど個人レッスンした。
手書きのマニュアルまで渡し、次の日には復習のためのZoomミーティングも行った。

●「武沢くん、ありがとう。もうこれでZoomはバッチリだ」と喜んでおられたが、その後、友人はZoomをしないまま半月経った。
ある用件があり、数人でZoomミーティングすることになったが、友人は参加できず携帯でヘルプを求めた。
やむなくその日はFacebookで代用した。
友人いわく「あなたのマニュアルがおかしい」とのことだった。

●たった二週間でZoomの操作方法を完全に失念するように、私たちは以前に読んだ本の内容もすっかり忘れている可能性がある。
私が今読んでいる『鼠』(城山三郎)も20代後半に読んでいるはずなのに、まったく思い出せない。
初めての本を読んでいるような感覚なのだ。
懐かしさすらこみあげてこない。
こんなにきれいさっぱり忘れるものなんだと驚くばかりだ。

●読んでから40年経っているせいもあるが、本当に時間の長さのせいだろうか。
そもそも人は本を読んで学習しているようにみえて、実は、読みながら次々に忘れていっているのではないか。
本のなかの何か
一節だけが永久記憶されることがあるが、大部分は忘れていく。
そうなると先月読んだ本だって怪しいし、去年の本なんてもっと怪しい。

●多読する人は特にあぶない。
読んだという実績は残るし、「いい本ですよ」などと本を評価することもできる。
そこまでのことだ。
本が自分の中に血肉化されたわけではない。
ドストエフスキーが『墓の中の死せるキリスト』を美術館で観たときのように、30分間絵の前に立ち尽くして自分を無防備に解放しないかぎり、読んだ本は次々に忘却していく。

●そこで私がやっている忘却対策法をご紹介したい。
ひとつが「二度読み」である。
自分にとっての名著は読んでいる最中に分かる。
読み終わったら次の本に移る誘惑をこらえ、もう一度最初から読み返す。
二度目は短い時間で読める。
読破することが目的ではなく味わうことが大切だ。
味わうとは、感じること、考えることである。

●「二度読み」の次に私が行っているのは「レポート化」である。
要点を整理しワード文書数枚にまとめる。
本のハイライト部分をワープロ打ちし、感じたことは色を変えて打ち込む。
時にはその資料を社内外の研修で使うこともある。
ここまでいくと、かなり本の内容が自分に血肉化していくのがわかる。
イメージとしては、50冊の本を読んだなかで2冊の本を二度読みし、1冊がレポート化されるといった割合だろうか。

●レポート化されたなかでセミナーでもよく使わせてもらっているのは、『現代の経営』(ドラッカー)、『野望と先見の社長学』(佐藤誠一)、『フランクリン自伝』(フランクリン)、『私はどうして販売外交に成功したか』(フランク・ベトガー)、『失敗の科学』(マシュー・サイド)、『ビジョナリー・カンパニー』(ジムコリンズ)、『グリット』(アンジェラ・ダックワース)、『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)などである。

●メルマガやYouTubeで感動した本を紹介するのも効果的な血肉化対策になるはずだ。
時々、本の要点をアプリでスキャンしOCRして自分のデータベースだと自慢している人がいる。
悪くはないが、咀嚼するまえに吐き出してしまう行為も良くない。
自分を無防備に明け渡すプロセスがなければ、単なる名言の収集家になってしまうのだ。

●最後に、あなたの書棚にある既読の本を手に取ってほしい。
どのページでもよいので読んでみよう。
既読感がなければ、その本のことはすでに忘れている可能性がある。
いっそのこと、「書棚の本は全部未読だ」と思えば、書棚もまた違った景色にみえてくる。