Rewrite:2014年3月26日(水)
明治時代、「セメント王」「埋立て王」などと称され、一代で浅野財閥を築いた浅野総一郎は富山県出身だ。
15才で事業を開始したが、挫折と失敗のくり返し。24才で上京したときにはほぼ無一文だったという。そこで元手がいらない水を、お茶の水で「ひゃっこい、冷ゃっこい」と売り歩き、ひと夏で12円(今の12万円)の純利益をあげる。これが財閥への種銭となった。
浅野が偉かったのは、その商売をずっと続けようと思わなかったことだ。なぜなら、彼には野望があった。それは、郷土の偉人「銭屋五兵衛」のようになるという夢である。あくまで事業は、「資金の拡大再生産」であることを見抜いていた彼は、「冷やっこい」をひと夏で終え、味噌や寿司の包みに使われていた竹の皮で商売の基礎をつくり、薪、炭、石炭と事業を拡大していく。
事業の基本とはこのように、付加価値を高め続け、継続して発展を遂げることである。
1トン2千円で輸入された鉄鉱石を国内で加工すると、1トン5万円の鉄板になる。その付加価値は25倍というわけだ。さらにその鉄板を自動車に仕上げることで、1トン100万円の値段がつく。原料からみれば500倍だ。だが誰も高いとは言わない。
事業とは、こうした付加価値の創造活動といっても良い。