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単純に楽しそうだから

「テクニックは人から教わることができる。でも、ハートは自分で鍛えるしかない」とラモス瑠偉氏。氏の熱い言葉は私も好きで、こんな名言もある。
「日本で戦争が起きたらオレは戦う。だって日本人なんだから」

あるとき居酒屋で私も同じことをA社長(50)に言ったことがある。ラモス氏に影響されて言ったわけではない。本心でそう述べた。
「もし日本が戦争を始めて国民が徴兵されれば、私はそれに応じる。日本人なので祖国や郷土を守るために戦うのは当然だと思っている
A社長は一瞬かたまった。そして「本気で言ってますか?」と念を押した。おそらくそういう考えはないのだろう。

「日本サッカー、日本人サッカーがなめられることは自分がなめられるのと同じ。そんなの許せない」とラモス氏。私も同感である。

「日本は生産性が低い、日本は諸外国に後れをとっている、日本は遅れている、日本人はダメだ・・・」
それを外国人が言うならまだしも、日本人でもそう言う。
愛国の心でそれを言う人と、日本人であることを忘れてしまって、気分はすっかり外国人になったつもりの人とがいる。

憂国は大切だが、売国になってはいけないと思う。
さて、今日はすこしラモス氏を持ち上げすぎたかもしれないが、本当は別のことを申し上げて書き始めている。
実は、日本サッカーのある種の悲壮感のようなものを作り出したのもラモス氏ではないかと思っているのだ。

好きで始めたサッカーが、日の丸を背負った瞬間に悲壮感を醸し出すのはなぜだろう。サッカー日本代表選手のインタビューを聞いているとこちらまで息苦しい気分になる。
「勝ち点3?まだ初戦、僕たちはまだ何かをなし遂げたわけではない」
「1-0の勝利?次につながるゲームだったかと言われれば僕たちは何も
答えることができない」
こうしたもってまわったインタビューが最近多い。勝負にこだわる勝負師としては実に格好いいコメントだが、スポーツ選手としての爽やかさや楽しさはかけらも感じられない。

そんなサッカー日本代表に今、異変が起きつつある。
私はこの異変は良い兆候だと思うし、今後この異変が拡大してほしいと思っている。
昨日、神戸で行われた日本代表vsボリビア戦で貴重な決勝ゴールを決めた中島翔哉選手(24)はサッカーの「楽しさ」を強調する一人だ。
中島選手は1年半前にポルトガルのクラブチームに移籍したが、今年2月にその契約が切れた。大活躍した中島選手にはイングランドやフランス、ポルトガルなどの蒼々たるクラブからオファーが届いた。
しかし彼はすべて断り、なんとサッカー途上国のカタールのクラブチームに移籍すると発表したのだ。
カタールは22年W杯開催国ではあるものの、あきらかに見劣りするクラブへの移籍である。
理由を聞かれた中島選手のひと言が強烈だった。「単純に一番楽しそうだったから」
こんな選手がいままでの日本代表にいただろうか。

「ワールドカップは国と国の戦争だ」とラモス氏。
サムライブルーを着て日の丸をつけた戦士であると考えた今までの日本代表選手。
その一方で、「キャプテン翼」に夢中になり、校庭や公園でひたすらボールを追いかけたサッカー少年がそのまま大人になったような選手がいる。
誰かのためではない。自分とチームの「楽しさ」を追究する選手が増えたとき、日本代表のステージを押し上げるのではないだろうか。

中島選手の出処進退は、仕事を愛し楽しむことの大切さを改めて教えてくれた気がする。