その他

仕事に取り憑かれた野球選手

選手時代は唯我独尊的で好きになれず、監督時代もオレ流采配が
きになれなかった落合博満氏。ロッテ→中日→巨人→日ハムと渡り
き、現役引退後は中日ドラゴンズの監督を8年務めて4回のリーグ優勝、
1回の日本一に輝いた。そんな落合氏に一目置くようになったのは氏が
テレビ解説者になってからだ。

昨日、名古屋の国際ホテルで「落合博満トーク&ディナー」があ
た。通算10回目だそうだが私は初参加。10回連続通っている猛者もい
て、13,000円のチケットながら300名の会場は満席。

「10回目にもなると必ず前の話と被るところが出てくると思うが、
なるべく同じ話はしない」というだけに、かなりマニアックな落合
ァンしか知らないネタが聞けたのだと思う。たっぷり2時間の落合トー
クは私にとって新鮮だった。おまけに前から6列目の中央の位置なので
ポジションも悪くない。

根尾選手をどう思いますか?今年のドラゴンズの順位予想は?松
投手のファンとの接触アクシデントをどう思いますか?
いろんな質問が飛びかったが、基本的にキャンプ地巡りはしないので、
個々の選手の質問や順位予想はしないのだそうだ。ただ、新聞やテ
ビをみていて思うことはあるので、それはあとで話す。

秋田にいる頃は最高得点286点までたたき出すほどボーリングに打ち
込んだ落合氏。ボーリング場でアルバイトをしながら、こっそり賭
ボーリングをして道具代を稼いでいた。
「雑誌とかに”落合はプロボウラーを目指していた”とか書かれるが、
私は目ざしてはいない。ただ、ボーリングに取り憑かれていた。そ
だけだ。のちに、取り憑かれる対象が野球になっただけ」

東京に出てくる前、喰えるようになりたいとプロボウラーの試験
受けることにした。
だが縁のないものには不思議なことが起きる。会場に向かう車でス
ードを出し過ぎて反則切符を取られた。罰金額を聞くと、プロボウ
ー受験費と同じ6,000円だった。貯金もなかったので、プロボウラーに
なる夢を断念した。スピード違反がなければ、天才プロボウラー・
合博満が誕生していた可能性がある。

その後、恩師のすすめで社会人野球の「東芝府中」に入部。都市
抗野球に出場するうちにプロのスカウトの目にとまる。
1978年のドラフト会議は、巨人が江川投手の空白の一日事件でボイコ
ットしたため、11球団で行われた。
1チーム4名という申し合わせでその年は44人のプロ野球選手が誕生し
ている。落合氏はロッテオリオンズが3位指名したが、当時の山内監督
は落合のバッティングをみて「打てない」と酷評した。

当時のロッテで一軍レギュラーの可能性があったのは唯一セカン
で、あとのポジションは決まっていた。一年目キャンプでの守備練
で落合氏は肩を壊してしまう。
「4番とエースしか触らない」といわれた敏腕トレーナーに頼み込んで
肩を診てもらった。
すると、ろくに肩もみないうちに「お前、虫歯があろだろう」と言
れた。虫歯が4本あった。それを治さないと肩は治らんと言われ、歯医
者を紹介された。

とりあえず10年もたせるなら50万、現役の期間中ずっともたせたか
ったら100万円かかる。どっちにする?
と歯医者に聞かれた。東芝府中時代に貯めたお金の大半をつぎ込んで、
最高の治療をしてもらった。そのときの歯は中日監督時代に全部抜
た。本当にきっちり現役期間中、しっかり歯が働いてくれた。

ロッテの二塁手として試合につかってもらえるようになったが、
備の手本になる選手がいなかった。落合氏より先輩で高木守道とい
スーパー二塁手がいたのは知っているが現役プレイをしらない。
そういう目でパリーグをあらためて見てみると阪急ブレーブスにマ
カーノという名手がいた。

ある日の試合前に通訳を連れてマルカーノ選手のところに行った
そして思いきって尋ねてみた。「二塁手として大切なことは何か?
と。
するとマルカーノは他チームの無名の若手と気を緩めていたのだろう。
宝もののような大切な教えをくれた。その教えがオレの財産になった。

<あすにつづく>