「たまにはかぜで寝てみるのもいいものだ。自分の生き方をふりか
えられる。かぜは生活の句読点のようなものでもある」
これは御年95の論客・外山 滋比古氏が『惰性と思考』で書いているこ
と。今なお元気な95歳にあやかりたいものである。
さっそくあやかることができたのは、「たまにはかぜで寝る」とい
うこと。昨日の午後から今日いっぱい風邪で伏せっている。
あれだけ風邪・インフル対策をしてきたのに、うつるときはあっけな
いものである。
目の前でゴホンゴホン、ハックションとやられたのに、面会中はマ
スクは失礼と、外していた相手も私も無防備だった。きっちり三日後
にノドの異変が訪れた。あの面談にもう一度戻りたいと思うが、歴史
にifはない。
歴史にifはないが、もし仮に関ヶ原で西軍が勝っていたらと思うこ
とがある。石田三成は果たしてどんな幕府を作ったことだろう。
また、明智光秀が山崎の合戦で秀吉をやぶり天下を取っていたら日本
の歴史はどう変わっていたか。
同じように、父親と母親が出逢っていなければどうなったか。当然私
はここにいない。ifはないものの、歴史をあれこれ推察してみるのは
楽しいことでもある。
昨年暮れ、知人の会社にお願いして武沢家の家系図をつくっていた
だいた。
私の父は11人兄弟の七男として徳島県に生まれている。当時は決して
珍しくない大家族で、11人兄弟のうち、戦争または子どもの頃に病死
した兄弟姉妹が6人もいることに驚いた。
還暦を迎えられた兄弟は5人だけで、私の父が兄弟で二番目に長命で、
69歳まで生きた。
家系をたった四代さかのぼると曾祖父(ひいおじいさん)の名があ
る。武澤仲蔵という方で、もちろんお会いしたことはない。
その生年月日をみて歴史を感じた次第。なんと「嘉永五年十一月七日」
とある。
「嘉永」は1848年から1855年までの八年間続いた元号で、そのあと
が「安政」である。浦賀沖にペリーが来航したころであり、この頃か
ら日本中に尊皇攘夷運動が起こり、やがて倒幕運動に加速していくタ
イミングである。
ただ仲蔵さんがいた阿波郡は徳島藩(阿波と淡路が所領、蜂須賀家)
なので官軍側ではなく徳川寄りの佐幕である。戊辰戦争から明治にか
わる維新というものを、阿波の地でどのようにみていたのか聞いてみ
たいものだ。
そうなのだ。たった四代さかのぼれば約100年タイムスリップする。
私の場合は江戸末期である。八代もさかのぼれば200年前になるので、
江戸の全盛期・元禄時代の直後くらいまで行ってしまう。
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