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長州の人、薩摩の人

長州人(今の山口県人)は議論好きだと司馬遼太郎の本で読んだ
だが交通網が発達し、インターネットが普及した今、そうした地域特性は薄らいでいるに違いないと思っていた。
だが、15年ほど前、「長州非凡会」という勉強会を山口県でひらいた時には、長州人の議論好きに閉口した。

まず、自己紹介が長い。乾杯の前の自己紹介が延々と続くので私が「先に乾杯しましょう」と提案したほど。
その時はたまたま雄弁家が多いのかと思ったが、「長州非凡会」ではほぼ毎回そんな雰囲気だった。

同じ時期、鹿児島で「薩摩非凡会」も開催していた。
こちらは打って変わって寡黙な会である。
なにしろ「議はいうな」の薩摩である
懇親会では自己紹介すらなく、すぐに乾杯した。
寡黙ながらも、注がれた焼酎は皆、しっかり飲む。

何か話さねばと思い、真ん前にいた男性に「どんなお仕事ですか?」と聞いてみた。
すると、
「水道工事でごわす」と手短に返答された。
次が続かない。
「この会はどなたに誘われましたか?」と尋ねると、
「佐田さんでごわす」でオシマイだ。

長州と薩摩の間に立った竜馬の苦労がうかがい知れた。

日露戦争中期の沙河(さか)会戦で日本軍はロシア陸軍の猛攻にあって苦戦していた。
季節は冬に入り、膠着状態がつづく。
消耗戦になると日本に不利である。
総司令部内も焦りが出はじめ、議論を通りこして感情的な口論が目立つようになった。
そんなとき、総大将の大山巌が昼寝から起きてきて、「児玉さん、今日もどこかで戦(ゆっさ)がごわすか」と惚(とぼ)けてみせた。
そのひと言で部屋の空気が一変し、その場にいた将校たちが冷静さを取り戻したという逸話が残っている。
これが薩摩型リーダー像であり、こうしたリーダーが望ましいと全国に広がっていった。

20代のころ「大物になる」という類いの本を読んでいたら、先輩に、「大物はそんな本は絶対読まん」と言われた。
私は「そんなことはありません」と先輩に反論した。
なぜなら、四書五経などの儒教の経典や、シーザー・ナポレオンなどの軍記物の影響を受けているリーダーはとても多い。
自己啓発を何もせず、師をひとりも持たず、読書もせずに大物になった人はいないと私は思うのである。

大物の本によく出てくる言葉に、「運鈍根」(うんどんこん)がある。
ものごとをなし遂げるには、運と粘り強さと根気が大切であるという教えだが、運と根はイメージしやすい。
真ん中の「鈍」とは何の「鈍」なのか、そのころはよく分からなかった。

「愚鈍」なのか「鈍感」なのか「鈍い」(のろい)なのか。
いずれも普段はあまりよくないイメージで使われる言葉だが、渡辺淳一が「鈍感力」という本を書いたように、「鈍」は意識的に開発すべき能力なのである。

「鈍」の反対、たとえば鋭敏、繊細、賢明、聡明ばかりが表に出て、人間的魅力に欠ける人を「小賢しい」というが、小賢しいタイプでは多くの人を束ねられないだろう。
鈍とはなにか、鈍はいかにして開発できるものなのか、実はまだよくわかっていない。
引きつづき、研究したいテーマである。

追申
今日のメルマガを読まれた長州の方は気を悪くしないでいただきたい。
長州非凡会は毎回活発で盛り上がり、好きなイベントであったのは間違いない事実なのだから。