Rewrite:2014年3月23日(日)
問題の核心にふれないまま、その周辺で手をこまねき、時間を浪費する事は避けねばならない。
名古屋のある酒屋が、コンビニ店に変えて成功していた。しかし、社長(55)は不満だった。その隣の遊休地利用に関して、具体的なアイデアが固まらないまま数年が経過していたのだ。その間、奥さん以外に相談相手がなく、社長は悶々たる日々を送る。
ある時、意を決して設計士や経営コンサルタントを社内に呼び、心情を吐露した。意を受けた外部専門家チームは、それぞれに手分けして社長の判断を助けるための情報を集め、それを持ち寄ってミーティングを重ねた。それは二年に及ぶ長期の、そしてボランティアのプロジェクトだった。
三年目、ようやく手作りコロッケの専門店がオープンした。入念な市場調査の結果では、爆発的にヒットするはずだった。しかし、ヒットしたのは最初の月だけだった。オープンしたあと、外部スタッフのチームは解散した。残されたのはその道の素人である社長と奥さん、それに気むずかしい厨房長(60)だけである。やがて3人の意思は乱れ、二年後にあえなく閉店を決意した。累損と建物が残された。
ひどい話である。だが、この話はこれでは終わらない。
大丈夫たる者、そんな程度の負け戦で引き下がってはおられなかった。この社長がこの体験から学んだ最高の教訓、それは、自らが事業家魂を発揮してリーダーシップをとらなければ、議論を山ほど重ねたところで意味がない、ということだった。高い授業料を支払った。
この社長は、そこで手作りパン屋を開業することにした。オペレーションも気むずかしい第三者にゆだねず、自ら神戸で合宿研修してマスターした。将来のチェーン展開を夢見ての挑戦が始まった。
経営は机上の学問でも論理的な科学でもなく現場で悪戦苦闘するなかで学ぶものであるということを社長は学んだ。現場で苦労した分だけ、書物の意味、友人の助言の意味が理解できる。
また、最初から成功が保証された事業など存在しないという事実も学んだ。成功する人間と失敗する人間がいるだけのことで、成功する事業と失敗する事業があるわけではない、ということも学んだ。
行動せずに議論し、学んでばかりいたあの時間を取りもどそうと今、この社長は懸命である。