その他

続・間に合わないパーティ・オードブル

「責任感のある仕事をしてほしい」
「わかりました。そうします」

しかし、その「責任感」には個人差がある。

昨日号は、パーティオードブルが間に合わなかったときの幹事の責任と対応についてあなたにお尋ねした。

「業者が悪いと思う」という声が真っ先に届いた。当社のスタッフの声だった。
時間を間違えて聞いた上に、手配ミスでその時間にも遅れるというダブルのミスはプロとしてあるまじきことだという。
新人研修でこのお題を議論したことがあるが、そのときも業者が悪いという声が目立った。

長野県の S さん、和歌山県の U さん、大阪の M さんからは「幹事が悪い」という声が届いた。
パーティにオードブルを用意するのが幹事の責任であって、業者に電話注文することが幹事の責任なのではない、という主旨である。
経営者はそういう判断をするようだ。もちろん私もこちら側のスタンスである。

業者のせいだ、と言っているうちは「幹事の自分は悪くない」となる。したがって、ミスは減らない。
「幹事の自分が悪い」と思うことで次回から「業者に確認する」というひと手間が加わるようになり、ミスは減る。

今回、なぜこのようなテーマを取りあげたか。

ある弁当販売会社の会議に出たからだ。その会社では、先日の大雪でランチ配送に大混乱を来たし、3,000食の弁当の配達完了が午後2時近くになってしまったことを問題にしていた。

本来どうあるべきでしたか?
と私が尋ねると、配送部門の責任者がこう言った。

なにしろ数十年ぶりの大雪でしたからふだん通りの12時はムリだとしても、せめて13時までには配送を終えたかった」

私が「なぜふだん通りの12時に届けられないのですか?」と尋ねると失笑された。
「あの交通混乱をみたら、お客さんだって13時配送で感謝してくれましたよ」と責任者。

私は承服できなかった。
普段とちがう状況になったら、ふだんとちがう行いをしても許されると考えるのはやめよう。
数十年ぶりの大雪という予報は前もって分かっていたはずだから。

できない理由を自分以外の誰か(何か)のせいにするのをやめることで幹部らしく、プロらしく、経営者らしくなっていく。

トルーマン大統領は執務机の上にこんな言葉の置物を置いていた。

「the buck stops here」(「ここが終点」「ここが最終責任者」)