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続・年金ってこんなに少ないのか、と驚いて奮起した人

遅咲きの成功者の代表例として昨日号でカーネル・サンダースのことを書いた。短気で毒舌という意外な一面があったとは意外だが、その方が人間らしくて面白い。

ところで、カーネル・サンダースは通称である。本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースという。なぜ「カーネル」(大佐)と言われるようになったのか?

母子家庭で育ったサンダースは10才のころ母を助けるために学業のかたわら農場で働きだした。勤勉なサンダースはその後、興味のおもむくままにいろんな仕事をした。
市電の車掌、判事助手、保険外交員、タイヤのセールスマン、機関車修理工、ボイラー技士、機関助士など、合計40種類もの仕事をした。
軍隊にも入っているが、30代後半になってサラリーマンをやめ、自分で会社を経営することにした。

これからは平和な世の中になる。国民が自動車を乗り回す時代になるだろう。だったら幹線沿いでガソリンスタンドをやろうということになった。だが、思ったほど儲からなかった。
多少の従業員をつかったが、サンダースは奥に引っ込まず店頭に立った。「お客に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」という信念で勤勉に働いた。

その後、サンダースはガソリンスタンドの一角に6席だけの小さなレストランを開き、「サンダース・カフェ」と名づけた。ようやく忙しくなった。サンダースは一人でガソリンスタンドの支配人、調理係、レジ係の全てを担当し、身を粉にして働いた。結婚し、子どももできて幸せの絶頂をむかえた。

その頃、サンダースカフェで提供する料理が評判となり、州の料理に貢献したと認められてケンタッキー知事から名誉称号を授かった
その名が「ケンタッキー・カーネル(大佐)」という。
以来、サンダースは自らを「カーネル・サンダース」と名乗るようになった。

その後、サンダースカフェは席数を拡大するなど順調な経営をしていたが、徐々に経営環境が悪化する。まず高速道路が開通し、店の前の通行量が激減した。そこへ不況が襲った。皮肉なことに、記録的な干ばつにも見舞われた。近郊の農民がガソリン代を払えなくなり、サンダースもついに倒産しガソリンスタンドを手放すことになった。

その後の復活ストーリーは昨日お届けした通りである。

「自分には特別な才能があったとは思えない」とサンダース自身が述懐しているが、それは本音であろう。

経営の才能があれば、ガソリンスタンドやカフェのビジネスを倒産させることなく繁栄させるか売却していたはずだ。
高速道路ができて交通量が減ったというが、それは何年も前からわかっていたはず。
そういう点で「才能があったとは思えない」に同意できるわけだが、サンダースには失敗と挫折をバネにして、そこから復元する力が備わっていた。追いやられてからが強かったのだ。しかも65歳での倒産と再起はなかなか真似できるものではない。そこからの10年間こそが、サンダースの人生の真骨頂だったといえよう。