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年金ってこんなに少ないのか、と驚いて奮起した人

年金受給の案内が届くと人は多少なりとも驚く。

「ようやく長年の積み立ての恩恵を受ける立場になった」とうれしく思う人がいる一方、嘆く人もいる。
「私もついにそんな年齢になってしまったのか」と人生の残り時間の少なさを突きつけられたように思う人。また、「こんなに俺の年金って少ないのか。年金生活なんて夢の夢だ」と落胆する人もいる。

今日ご紹介するカーネル・サンダース(以下「サンダース」も落胆組の一人だった。30代後半で始めたガソリンスタンドとカフェの経営が失敗。65歳ですべてを手放す羽目になったとき、「年金がある」という思いが心の支えになっていた。年金で生活ぐらいはできると思っていたのだが、受給通知に印刷されていた金額は月額100ドル。今の私たちの感覚でいえば5万円ぐらいだろうか。

「だめだ、働くしかない」
やむなく考え出したのがおばあちゃん秘伝の製法でつくったフライドチキンで稼ぐアイデアだった。厨房施設がなかったので、「つくり方を教えるから一個につき5セントのロイヤリティを払ってもらう」という提案をして回ることにした。

年金受給者が連日、車を飛ばしてレストランやカフェを回った。だが、世間の反応は冷たかった。その当時、フランチャイズという概念やロイヤリティという考え方が今ほど普及していなかったようだ。

ちなみにこの時期、レイ・クロックがマクドナルド兄弟と出会い、ハンバーガーのチェーン化を始めている。
「私にとっては生きるか死ぬかの選択だった。このビジネスで失敗すれば、私にはもう行く先がなかった」とレイ・クロックが語っているが、サンダースも同じ心境だったことだろ。いや、12歳年上のサンダースの方がもっと悲壮感があったかもしれない。

1009回断られたサンダース。日に5回断られ、一月に25日働いたとしても8ヶ月。8ヶ月で成果ゼロだと普通のメンタルならあきらめる。
毎日10軒回ったとしても4ヶ月かかる。その間、サンダースは「NO!」を浴び続けた。旅先ではホテル代を節約するため車の後部座席で寝た。
なにしろわずかな年金だけが頼れるお金だ。老体にはこたえる日々だったろう。

私たちが知っているカーネス・サンダースのあのモニュメントは本人と瓜二つである。しかし本当のサンダースは、あの温厚そうにみえる風貌には似つかわしくないほど毒舌家で、短気な性格をしていたらしい。
若い頃は近所で競合するガソリンスタンド経営者と広告看板のことでトラブルがあり、発砲事件まで起こしている。
年をとってからも教えた通りにチキンを揚げない FC 加盟者を杖で殴ったりしたらしい。

そんなサンダースが「NO」を1009回も浴びてよく耐えたと思う。
1010回目に「YES」が出た。そのあとは比較的事業が順調に進んでいく。加盟店が増えていった。サンダースが74歳になった1964年に会社を投資会社に200万ドル(今日の約20億円)で売却した。
その後出店は加速し、1966年に株式を公開した。現在 KFC は80以上の国々で14,000を超える店がある。

いかがだろう。
年金をもらう年になったって世界ベンチャーを作れるんだぞ、ということをカーネル・サンダースが教えてくれているように思える。