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国交交渉も最後は人間

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1972年(昭和47年)に日中が国交を正常化してから45周年になる今年、記念式典が各地で行われている。

45年前、時の内閣総理大臣・田中角栄が大平外務大臣、二階堂幹事長を引き連れ、北京を訪問。周恩来首相の出迎えを受けた。

周は、毛沢東の腹心の部下で生涯の忠誠を誓った。日中国交回復のために日本から来る田中、大平、二階堂を最大限にもてなすために、周到な準備をしたのも周だった。

田中総理一行の食事の好み、趣味嗜好、生活習慣などを徹底的に調べたらしい。
情報の中に、「田中総理に妾(めかけ)がいるという情報まで含まれていたが、周総理はそれをみて激怒した。
「国交を開くのにこの情報が必要か。こんな情報は捨ててしまえ!」と、スタッフを叱りつけたという。

田中総理は朝早く起きる。すぐに全部の新聞に目を通し、朝早くからフル回転で仕事に当たる、という情報があった。それを重くみた周は、自分の生活習慣も朝方に変えた。それまで周は典型的な夜型で、眠るのは朝5時、起床が午前11時。食事を済まし、昼から仕事をする習慣だったものを田中総理に合わせた。その方が二人のリズムも合いやすいと考えたのだ。ここまで相手をおもんばかる政治家って世界に何人いるだろうか。

日本側三人の出身地も調べた。出身地の民謡を楽団に練習させ、日本での留学経験がある周自らが演奏の出来をチェックした。
そして、宴において田中総理用に「佐渡おけさ」、大平外相用に「金比羅舟船」、二階堂幹事長用には鹿児島「小原ブシ」を演奏させ、三人を大いに感激させた。

中華人民共和国として新しくスタートした自国の発展の為には世界経済の中心にいたアメリカと日本と手を組む必要があった。その先導役を担うに周以上の人材はいなかったであろう。
周自身、何度も政治的に危険な目にあいながらも最後まで指導者として君臨できたのは、こうした、したたかな周到さがあったからであろう。

周は、中国人民にも敬愛された。1976年にガンで亡くなったとき、中国人民の多くが涙を流して悲しんだ。

「事能知足心常泰 人到無求品自高」(周恩来)

・・・足ることをよく知っていることで心は常に泰然とし、求めない心によって人は自ら高い品格に到る・・・

周は無私の人でもあった。

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