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ドレスコードがあるフィンテック企業

「戦戦兢兢として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」と中国古典の『詩経』にある。以来、きわめて慎重に行動する様を「薄氷を履む(ふむ)」というようになった。

「生活のすべてを薄氷を踏むが如くすべし」と指導されたことがある。広島の座禅道場に一週間参禅したときのことだ。

「薄氷を履むが如く、ですか」と真意をはかりかねていると、「廊下を歩くとき、さっさと歩いてはいけない。一歩一歩、全身全霊をこめて歩行に集中するのです」
「わかりました」
「トイレに行った際には、放尿に集中しなさい。放尿するために生まれてきたかのように」
「はい」
「薬石(夕食)にあってはひたすら咀嚼に専念するのです」
「はい」
「要するに、ここではすべての行動スピードを普段の10分の1にすることです。それぐらいでちょうどいい」
「わかりました。やってみます」

座禅の最中、立ち上がって禅師の前を一礼し通り過ぎる。
そのときの立ち上がり方、歩き方、お辞儀の仕方、すべてを10分の1にしたとき、あとから禅師に「お辞儀が美しい」とほめられた。
お辞儀で褒められたのは初めてだ。それに専念することと、スピードを10分の1に落とすことで美しくなれる。少なくとも美しくみえるようになる。

そんな経験をしてからというもの、訪問先の企業でお茶を入れて下さる方のお辞儀を注意深くみるようになった。
総じていえることはお辞儀が浅く、早い。ピョコンとした挨拶なのだ。
気持ちは伝わってくるが美しくはない。

だが最近おじゃましたフィンテック企業の「コロンブス・テック」(仮)は様子がちがっていた。お辞儀が実に美しいのだ。
IT 企業には珍しくドレスコードがあるらしく、男性は全員が黒または濃紺のスーツにネクタイをきつく閉めていた。
プログラマーも同様である。
それに男性も女性もお辞儀が美しい。BGM は琴の楽曲が流れていた。
不思議なもので、そうした環境にいると、相手もこちらも自然に穏やかな笑顔になれる。

まだ30歳代とおぼしき若い社長が現れた。当然、ビシッとスーツを着こなしている。こちらはジャケットにノータイだったのでそれを詫びると、社長は笑いながらこう言った。

「実は今日だけなんです」
「え、どういうことですか?」
「毎月1の日だけがスーツと決めていて、それ以外は私服なんです」
「1の日?」
「はい、1日と11日と21日と31日です。たまたま今日が11日ですので」
「なるほど、狙いは?」
「幾つかの理由がありますが、ひとつはネクタイの結び方を知らないとかスーツの着こなしを知らない、スーツにあわせるベルトや靴を知らない社員が増えています。将来困るだろうという教育的配慮です」
「おもしろい」
「もうひとつは、馬子にも衣装といいますが、服装を引き締めると心持ちも変わるということを経験してもらいたいということ」
「だったらいっそ毎日スーツにすればどうです」
「それはそれで堅苦しい。それにアメリカのある大学の研究では、スーツを着ている人の特性は権力を誇示したり、他の従業員とのコミュニケーション量が不足しがちになるそうです」
「ほお」
「大企業病の温床がスーツにあるというわけです。それで月に3~4回にとどめています」
「効果のほどは?」
「社員の発案で今年からこういうルールを取り入れたのですが、いまのところ社内外で好評です。スーツの日には琴だったり大正琴だったり尺八だったりの和の曲をBGMにすることで、オフィスの雰囲気はまるで別会社のように変わります」
「うちもやってみようかな」
「おすすめですよ。社員からは、夏季限定でハワイアンの日や秋にはハロウィンの日をやりませんかと言ってきていますが、遊びじゃないんだ、と僕は反対しています。あくまでスーツが良いです」

服装を整え、お辞儀や歩行を10分の1にする。それだけで間違いなく美しくなれる。