昨日のつづき。
寵愛していた祇王を追い出し、新たに仏御前を熱愛し始めた清盛。
仏も祇王を気づかって気分がふさぐ。それを慰めよと祇王に命じる清盛。あまりに無神経な清盛のふるまいに「死にたい」ともらす祇王。
母と妹も「一緒に身投げしよう」と言い出した。
しかし母はこうも言った。
「お前たちが身を投げれば私も共に投げることになります。しかし死期が来ていない母に身を投げさすことは五逆罪のひとつ、母を殺す罪にあたります。五逆罪であの世で地獄に落ちるつらさに比べれば、この世で恥をしのんで生きるほうがまだましではないか」
結局、祇王は自害を思いとどまる。
しかし、このまま都に住み続ければまた清盛から呼び出しを受けるなどしてつらい目にあう、と住み慣れた家を出る決心をした。
21歳で剃髪し、嵯峨の奥にある山里にこもって念仏三昧の日々を送ることにした。二つ下の妹と年老いた母も祇王に従った。それ以来、親子三人の念仏と涙に明け暮れる日々がはじまった。
季節がいくつも移ろったある日のこと、親子三人が念仏を唱えていると竹の網戸をたたく者がいた。こんなところに人が訪ねてくるはずがない。
「果たして魔性?」
警戒しながら戸をあけると、そこに立っていたのは仏御前だった。
祇王は「夢かうつつか」と呆然とする。仏御前曰く、「娑婆の栄華は夢のまた夢。今朝、屋敷を抜けだしてきました」とかぶっていた衣をはずした。よくみると、仏御前も剃髪し尼になっていたのだ。
「このように姿を変えて来ました。日ごろの仕打ちをお許しください。
できればこれからはご一緒に念仏し、極楽浄土へお供したい」と申し出る仏。
呆然と立ち尽くす祇王を見て、仏はさらにこう言った。
「もし祇王様のお許しがでなければ、このままどこまでもさまよい歩いて倒れ伏すまで念仏をつづけ、往生の本懐をとげるつもりです」
祇王もようやく口をひらいた。
「ともすればあなたのことを恨めしく思う気持ちで念仏も乱れがちでした。しかし、かくなる上は、日ごろの咎(とが)は露塵ほども残りません。それよりもあなた様こそ何の嘆きも恨みもない恵まれたご身分を捨て、わずか17歳で出家なさるとはまことに立派なご決心」と、仏御前を受け入れた祇王。
それ以来、四人いっしょに庵にこもって、朝夕仏前に向かい、花香を供えて念仏する生活がはじまった。
そして遅い早いの違いこそあれ、四人とも往生を遂げたという。
後白河法皇の建立で六条内裏に造立された長講堂の過去帳には「祇王、祇女、仏、とぢ等」と四人が連名で署名した記録が今も残っているという。
・・・
祇園精舎の鐘の声(ぎおんしょうじゃのかねのこえ)、
諸行無常の響きあり(しょぎょうむじょうのひびきあり)。
沙羅双樹の花の色(しゃらそうじゅのはなのいろ)、
盛者必衰の理をあらわす(じょうしゃひっすいのことわりをあらわす)。
驕れる者久しからず(おごれるものひさしからず)、
ただ春の夜の夢の如し(ただはるのよのゆめのごとし)。
(「平家物語」書き出し。以下略)
・・・