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続・諸行無常の物語

先週木曜日号のつづき。

平安時代後期、平清盛を中心とする平家が栄華をきわめていたころ、京の都に祇王(ぎおう)と祇女(ぎにょ)という二人の姉妹がいた。
二人は白拍子(踊り子)で、姉の祇王は21歳。清盛からとても寵愛されていた。そこへ「仏」(ほとけ)という名の16歳の白拍子が清盛の屋敷にあらわれた。舞をみてほしいという。清盛は追い返そうとするが、横にいた「祇王」が清盛に「せめて目通りだけでも許してあげてほしい」ととりなした。

仏を通した清盛は、「今日、そなたを見参するつもりはなかったが、祇王が申しすすめるゆえにこうして会うのだ。会うからには、声を聞かずに帰すわけにはいくまい。まず今様(いまよう、当時の流行歌)をひとつ歌うてみよ」と命じた。

仏の歌があまりに見事なので、清盛は感動した。
今度は「舞も舞うてみよ」と命じ、わざわざ鼓打ちを召し出すほどの肩入れを始めた。仏は容姿が美しいだけでなく、若いのに妖艶で、声も節まわしも巧みだった。歌に負けず劣らず舞も実に見事だった。
一目惚れしてしまった清盛は「仏」を屋敷にひきとめようとした。記録によっては。その場で「仏」を抱きかかえ、寝室へ向かったというものもあるほどの熱の入れよう。

だが仏も年若いとはいっても大人。祇王のとりなしがあっての今日のお目見えなので、清盛に対していとまごいしようとした。
すると清盛は、「もし祇王への気づかいがあるのなら、祇王の方こそ追い出すから何の遠慮もいらない」と、その場で祇王に命じ屋敷から追い出した。

「萌え出ずるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき」

祇王は自室のふすまに一首書きのこし、去って行った。
その意味は、いずれも野辺の草のような存在。捨てられたわたくしも、拾われたあなたも、おそかれ早かれ、ともに凋落の秋がやってくるのです。

悟ったような祇王の歌だが、自宅にもどり母と妹に出来事を告げると泣き崩れてしまった祇王。

それから半年ほど経った翌春のこと、
祇王のもとに清盛の使いがやってきた。ふたたび清盛が呼んでくださった、と希望がめばえたが使者の伝言は「仏さまがさみしそうにしておられるので、祇王が来て歌い、踊ってやってなぐさめてほしい」というものだった。
あまりに過酷な清盛の要求。祇王はなにも返事をしないでいると、使者はそのまま帰っていった。

しばらく経って再び清盛から催促がきた。「参らぬというならそのわけを話せ。次第によっては清盛にも考えがある」という内容だった。
それに対しても祇王は返事をしなかった。母が心配すると、「たとえ、清盛様に命を召されようとも、一度捨てられた者がどうしておめおめとご対面などできましょうぞ」と心境を語った祇王。

だが母は、「もしあなたたち姉妹と私がこの屋敷を追い出されたとき、あなたたちは若いからどこでもやってゆけるでしょうが、年老いた私は、いまさら田舎住まいなどできない」と泣いて祇王をくどいた。

やむなく祇王はふたたび清盛の屋敷へ向かった。通されたのはそれまで住んでいた座敷ではなく、はるかに下がった場所だった。
やがて清盛があらわれ、「仏御前をなぐさめるために今様をひとつ歌ってくれ」という。落ちる涙をおさえながら歌う祇王。歌詞にこめられたメッセージをくみとった仏やそのほかの家臣はみな泣いた。だが、清盛には歌詞の真意が伝わらず、「よくぞ歌った。次に来るときは舞も見よう。ときどき来て仏を慰めるように」と席を立っていった。

家にもどった祇王は「死にたい」ともらした。それを聞いた母と妹は「それでは私たちも一緒に」と言い出した。

だがこの物語は意外な方向に展開していく。
諸行無常、栄枯盛衰をつたえる平家物語はノンフィクションだけにおもしろい。

<あすにつづく>