Rewrite:2014年3月21日(金)
食べ物や運動があたえる影響は、肉体だけでなく、精神面や知能面にも及ぶようだ。経営学の神様といわれるドラッカーが96歳まで現役第一線で活躍しながら世を去った。江戸時代、貝原益軒が『養生訓』を著したのが84歳。杉田玄白が『蘭学事始』を著したのは83歳のときだ。普通ならボケが始まるか、すくなくとも生産的な活動ができなくなる年齢である。
その杉田玄白が、69歳のときに書いた『養生七不可』では、長生きの秘訣として、
1.恨みや後悔の感情をもつな
2.先のことを悩むな
3.酒は適量を守る
4.毒気のものを食べるな
5.病気でもないのに薬をのむな
6.セックスは控えめに(これは貝原益軒も同じことを言っている)
7.毎日マメに働く
と、書いている。
この『養生七不可』では、とりたてて運動のことを書いていないが、この当時、実はとんでもないほどの運動を人々はしている。
江戸時代の末期、幕末の志士たちの多くは江戸と京の間を何往復もしている。距離数にして500kmあるが、これを15日ほどで歩いている。しかも途中、山あり川ありの東海道だ。一日平均で35kmという距離を荷物をかついで歩いている。当時は、一時間に6km、女性でも5kmのスピードで歩いたというから、つくづく健脚としか言いようがない。
ちなみに私の歩幅70センチで割ると、一日5万歩になる。ゴルフで1ラウンドしても2~3万歩に過ぎない。万歩計を付ければわかるが、今の日常生活では、一日1万歩をキープするのは至難の業だ。車や電車を利用していると、数千歩しか歩かないのが一般的ではないだろうか。
つまり、幕末の志士と運動量だけを比較すると1割程度しかない。試しに一時間を休まず歩いてみたら、頭のなかは真っ白だ。散歩程度の歩き方であれば考えながら歩けるが、時速6kmのペースで歩いてみると思考は停止し、歩くことに集中する。
この思考停止という時間が潜在意識の活性にとって重要な役目を担っていたのかも知れない。志を練るという鍛錬として、素読(いまの音読)や武術があるが、いずれもが高いレベルでの集中を要求される。頭であれこれ考えているようで、実は雑念が浮かんでは消えているだけのことも多いもの。現代の経営者は運動不足によって集中の欠如を招いているのかもしれない。歩き続けることで、猛烈ないきおいで脳に酸素をプレゼントしよう。