O 社長が大阪で作っている靴下は品質が良いと評判だった。聞きつけた高知の婦人服店店主 T が「仕入れたい」と大阪までやってきた。
だが、O は断った。フォローできないところとは取り引きできないのがポリシーだから。
「だったら現金で買い取るから売って欲しい」とねばる T。当時の Oは借金まみれであり、喉から手がでるほど現金が欲しかった。
タクシーで引き上げる T が O にむかってこう言った。
「お互いに(出身が)四国同士やないか。
O は「分かりました」と約束した。
どうしたら大阪にいながら高知の店の売れゆきや在庫状況を把握できるか?
O は寝ても醒めてもその方法を考えるようになった。
ときは昭和40年代後半、1970年代初頭のことであり、
そんなある日、近くの日用品店にたばこを買いに行った O 。おばちゃんがいつものように電話口にむかって菓子パンの売れ数を報告し
その表が O 社の遠隔地取り引きのきっかけになった。お店から、在庫を報告してもらう仕組みにしたのだ。これがあれば、
やがて取り引きが発展し、
「お店に負担をかけず、簡単に売れ数(在庫数)
O はその方法を考えるために本屋に通った。ありとあらゆる本を読んだが、なかなか答えがない。
「今度、本を買ってあかんかったら、
そう思って書店で何冊かの本を選び、
O は買った本を脇に抱えて会社まで走った。自社の靴下にスリップを付けるアイデアを思いついていたのだ。
その方法は、
しかし全国に客先が1400店にもなっていた O 社にとって、この方法は人海戦術が必要とされて行き詰まってきた。
あるとき、自宅で歌番組をみていた O は、司会者がコンピュータの画面をペンで押すと歌手の名前と曲名がでるのをみた。
それをみたとき O は「 コンピュータは神さんみたいなもんや」と思った。翌朝、社員のまえで「
たばこを買いに行ってはヒントをみつけ、
執念とでもいうべきこうした O の 情熱は、どこから生まれるか。
それは、靴下という製品を誰よりも愛し、自らを「靴下バカ」「
「O」こと越智直正氏。タビオ創業者であり、
中学を卒業と同時に15歳で靴下問屋に丁稚奉公してから60年。
それが『靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓』(越智直正著、日経BP 社)である。
楽しくあっという間に読めて、それでいて読みどころ満載の好著。
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