日曜日の昼下がり。「今夜は何を食べたい?」と母親が聞いた。
「昨日はうなぎだったから、
「僕は麺類が苦手なのでカレーかオムライスがいい」
「いや、中華がいい」「いや、カレーだよ」「
論争がはじまった家族をみて、
「みんな聞いてくれ。わたしはこう思うのだよ。
「・・・」
意味不明な空気がただよう。
だが、母親だけはうれしそうにこういった。
「へ~、おとうさんは何も要らないってことね」
「お父さんのその言葉って、
その通りだ。
「パンのみにて生きるにあらず」はキリスト。
「そりぁパンだけじゃきついよ。肉も野菜も欲しいから」
「バ~カ、そういう意味じゃないよ」と長女。
「じゃあどういう意味?」と次男。
「う~ん、なんだっけ。パンのみにて生きるにあらず、
ふたたび威厳に満ちて父が、「人はパンのみにて生きるにあらず、
結局、その夜は出前のピザを頼むことになった。
人生と食についての関係は、キリストやソクラテスだけでなく、
・・・憤(ふん)を発して食を忘るとは、
意味:
仕事に打ち込んで食べることを忘れるのは聖人の共通点であって、
この故事から「両忘」という言葉が生まれた。食を忘れ、
「食べるものを心配する」という生き方は「両忘」
目指せ達人:食べることと、心配することを忘れよう。