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一点突破の学生

岩貫義宏(いわぬき よしひろ、仮名)、オートバイの中古パーツ専門店を経営する29歳の社長である。岩貫は、東京にある R 大学を平均的な成績で卒業した。オートバイが大好きなので、友人や家族は皆、岩貫がオートバイ関連企業に就職するものと思っていた。ところが岩貫が選んだのは東証一部上場の製造業だった。会社名を「パラノイア・エスケープ」(仮名、以下「パラエス」)といい、製造業を代表する、いや、日本を代表する超高収益企業だった。

「お前がメーカー志望とはな・・・」「まさか岩貫が大阪の会社を選ぶとは・・・」周囲はみな意外な顔をした。

岩貫は友人にも先生にも、親にも、「パラエス」を志望する本当の理由を明かさなかった。唯一、当時つきあっていた恋人にだけは真相を伝えてあった。なぜなら無事にパラエスに合格したあかつきには、横浜にいる彼女とは遠距離恋愛になるからだ。

「実は、俺、借金があるんだ」と岩貫。在学中にハーレーの中古を買ったり、学生向けイベント事業の失敗が重なったりして数百万円の負債を抱えていた。大半は親からの借金とはいえ、踏みたおすことはできない。サラリーマンとして平均的な暮らしをしながらも短期間で数百万円の借金を返すには、年収が高い会社に就職する必要がある。

年収の高い会社のランキングを調べてみると、上位にずらり顔を並べていたのがメディア、商社、金融だった。それらの会社の就職試験問題を調べてみると、難易度はそれほど高くはない。だが、「学歴フィルター」に引っかかった。しかも、タイミングも悪かった。リーマンショック直後のせいで、どこも採用枠を大幅にしぼり込んでおり、学閥やコネもない岩貫がそれらの会社に入社できる可能性は低かった。

そんななかで異彩を放っていたのが「パラエス」だった。年収上位企業のなかで唯一、採用枠を拡大していたのだ。しかも、社員の平均年収は1,400万円、初任給は750万円もあった。大阪での独り暮らしになるが、この会社に就職できれば3年で数百万円の借金がゼロになりそうだった。

ターゲットは「パラエス」一本に決まった。すぐにコンビニに走り就職成功のためのノートを一冊買い求めた。「パラエス戦略」と表紙に書いた。そして就活クチコミサイトを調べまくり、「パラエス」を実際に受験した先輩たちの声を丹念に集めていった。そのなかで大切そうな声はすべてプリントアウトし、ノートに貼った。

「パラエス」の関連書籍や雑誌記事なども手に入れ、すべて読んだ。「パラエス」を辞めていった社員たちの声も拾いあつめ、どういう社員がパラエスを去るのかも調べた。結局、このノートは Vol.6まで増えることになる。

この「パラエス戦略ノート」を作り込んだおかげで、岩貫は「パラエス」の社員よりも会社のことに詳しくなった可能性がある。少なくとも「パラエス」の就職試験に合格するために必要なことは何でも知っていると胸を張れる状態になった。

・筆記試験の傾向と対策
・適性検査の傾向と対策
・面接試験の傾向と対策

相手も人間だ。同じ会社の同じ人事部が採用をしている以上、去年までのやり方とガラッと変わるようなことはあるまい。

「面接の達人」など、いわゆる面接対策の本は数種類、それぞれ10回以上は読んで面接をシミュレーションした。

・あなたの自己紹介、自己 PR をお願いします
・学生時代、もっともがんばった思い出はなんですか
・まわりの方はあなたのことをどのように評価していますか
・専攻した学部でもっとも学んだことは何ですか
・この業界、この会社に興味をもたれた最大の理由はなんですか
・あなたにとって働くとはどういうことですか
・10年後のあなたはどのようになっていたいですか
・逆に、あなたから何か質問がありますか

こうした想定質問を100個つくった。それに対する完ぺきな答えを Evernoteに打ち込んで完全に暗記した。

ネットのクチコミサイトには宝のような情報がさりげなくアップされていることがある。

「パラエスの適性検査は、N 証券 のものとまったく同じ」

岩貫は我が目をうたがった。これが本当なら、半分、合格したようなものである。すぐに N 証券にもエントリーし、試験を受けるふりをして適性検査の問題を持ち帰った。そして後日、この噂が本当であることを身をもって知る。

「パラエス」には東大や京大など偏差値の高い学生が多いが、学歴フィルターがないので、試験の成績と人物本位で学生が選考される。「パラエス戦略」ノートのおかげで、岩貫はトップクラスの成績で採用され、トップの人材がまっ先に配属される部署への辞令がおりた。

永久に勤めるつもりはなく、3年で借金を返し終わるころをメドに退職する。周囲にそう言っていた岩貫は、事実、3年で借金を完済した。そして4年目で退職し、いまのオートバイ部品会社を立ち上げている。

・・・正直言ってパラエスはすごい会社でした。売上は伸びるし、利益も絶対に出せる。すべては必然的に生まれたのがあの好決算です。学んだことはとても多いのですが、退職するときには弁護士さんが同席し、ノウハウを口外しないことを誓約させられる。そのあたりも実にしっかりしている。私は「パラエス」で学んだことを今の仕事に応用していますので、業界平均よりもはるかに高い収益性と生産性が維持できています。
・・・

「ここしか受験しない」と決めた学生はここまで入念に対策を講じて受けにくる。ある意味、いたく感心したものである。